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付き添い登園①〜黒ソファの人から文庫の人へ〜
【回想録】
付き添い登園が始まった。
バス通園だったが、もちろん乗ることができなくなり、自転車送迎になった。
次男は、母に子守を頼んだ。
事務所の中に私も入り、息子と一緒に遊んだ。
トミカやブロックで。
最初からしんどかった。
楽しいなんて感情は1ミリもなかった。
でも、息子は安心した表情で楽しそうに遊んでいた。
遠くから元気な子供たちの声が聞こえる。
事務所の窓から子供たちがひょこっと顔を出し、
「あれぇ?なんでママがここにいるのぉ?誰のママ?なんであの子ここで遊んでるのぉ?」
子供は容赦ない。
私は笑顔で手を振った。
付き添い登園初日が終わった。
朝の9時から13時。
満足げな息子に対して、身も心もクタクタの母。
その日の夜、息子は父親にこう言った。
「お母さんがさいごまでいてくれたのー!」
その顔は満たされ嬉しそうだったのを今でもよく覚えている。
息子と距離をとるために、事務所の目の前の黒いソファに移動してみることになった。
息子は、不安げだ。
「お母さん、ここにずっと座ってるからね。遊んでおいで」
息子は嫌がった。私の手を引っ張り事務所に連れて行った。
ムカムカした。
(だって、ここにいるじゃん!なんでよ!)と、心の中で思った。
私にとって大丈夫だと思った距離は、息子にとってははるか遠くに感じていたんだろうと思う。
また連れて行かれても、何度もチャレンジしていると、連れて行かれなくなった。
私はホッとしながらソファに座って、廊下ではしゃぐ子供たちを眺めていた。
息子は何度も私がいるか確認しにくる。
その度に頭を撫でた。安心すると、また事務所に戻って行った。
しかし、暇である。
スマホを見るのも違うし、明日から本でも持ってくるか、と思った。
そんな毎日が続き、もう1週間なんてとっくに過ぎていた。
私が毎日黒いソファに座り、本を読んでいるもんだから、他の子供たちにとっても、それがあたり前になっていき、
「あ!またソファに座ってるぅー!」
って、なんか、懐かれ始めた。
背中にのぼってきたり
「何読んでるのぉ?」と腕に絡みついてきたり
「可愛いピアスぅ」とピアスを褒めてくれたり
時には、なぜか、知らない子にお弁当を食べさせてあげることもあった。
みんなみんなものすごく可愛かった。
他の子供たちはこんなにも可愛く思えるのに、
なんで膝の上にのってくる息子は、こんなにイラつくんだろう。
その気持ちが、とても辛かった。
だいぶ私の所にこなくなる日が続いたので、園長先生が、視界からお母さんが見えなくなるくらいに距離をとってみましょう、と次の段階にチャレンジすることになった。
私は、地下にある文庫(図書室)に移動することになった。
園長先生が、「ここのソファに来客がくるから、お母さんは文庫で待っててもらうわね」と、それはそれは見事に息子を説得してくれた。
この日から、私は、事務所前の黒ソファから、地下の文庫に昇格したのであった。
昇格と同時に、息子に専属の見守り先生をつけてくれることになった。
警戒心むき出しの息子は、見守り先生がいてもなかなか私から離れず、文庫で一緒に過ごしていた。すると、だんだん飽きてきたのか、先生と教室から出て行った。
ホッとしたのも束の間、あっという間に戻ってきた。
何日か経つと、だんだん文庫から出ていく時間が増えて行った。
でも、頻繁に私がいるかどうか確かめに来た。
私は我関せず、といった感じでひたすら本を読む文庫時代が続いた。
文庫には育児本もたくさんあった。
「育てにくさを感じたら」みたいな育児本もあったっけ。
なんだか、読んでいると気が滅入ってくるので、やはり、小説を読むことにした。
文庫にいると、子供たちが学年ごとに絵本を借りに来ることがあった。
「あれぇ、また文庫の人がいるぅぅぅ」
いつの間にか、私は、「文庫の人」になっていた。
文庫の人の膝に座り、「これ読んでぇ」と絵本を持ってくる子もいた。
「ねぇねぇ、歯が抜けたんだよぉ。ほらぁ」と可愛い歯抜け姿を見せてくる子もいた。
文庫の人は、可愛らしい子どもたちに癒されていた。
でもやっぱりしんどかった。
お弁当は息子と2人で文庫で食べた。
しんどかった。
悟られないように、必死だった。
私がいるならと、なんとか教室まで行き、廊下に机を出して、そこで息子と2人でお弁当を食べた時もあった。
しんどかった。
何もできなかった。
買い物したり、習い事したり、友達とランチしたり、1人でコーヒー飲んだり、したかった。
もしかすると、また、働きたいって思ったかもしれない。
次男とも過ごしたかった。
何もできなかった。
みんなみたいに、「いってらっしゃい」と送り出し、「いってきます」と笑顔で別れたかった。
みんなみたいに楽しい時間を過ごしてほしかった。
みんなみたいに、みんなみたいに・・・。
私の心は少しづつ壊れていった。
ある日、帰宅して、自転車から降りたときに息子が、「今から家の外で一緒に遊ぼ」と言ってきた。
私の中で何かが、プツっと切れた。
私は幼稚園の黄色い鞄と、手作りの布袋を地面に叩きつけ、
無言で家の中に入った。
驚いた息子は、「お母さんお母さん」と言って慌てて後をついてきた。
私は、「ついてこないでよ!」と怒鳴った。
息子は泣いていた。
私は1人になりたくて、2階に行き、寝室の扉をバタンと閉めた。
扉の向こうで息子が泣きながら「開けてここ開けて!お母さんお母さん!」と叫んでいる。
私は、耳を塞ぎ、「あっち行って!お願いだからあっちに行って!うわぁぁぁーーーーーー」と叫んだ。
もうボロボロだった。
それから、どう落ち着きを取り戻したのか、今はもう覚えていない。
息子は、扉の向こうでどんな気持ちだったんだろう。
寂しかっただろう。
怖かっただろう。
私のそばに行きたかっただろう。
もし今、あの瞬間に戻れるなら、
息子のそばに行き抱きしめたい。
そして、「あなたはよく頑張ってるよ」と私の背中をさすりたい。
この時期は、笑顔で一日が終わった記憶がない。
息子に何が起きているんだろう。
いつまで続くんだろう。
わからないのが辛かった。
家族も友達もとても親身になってくれたけど、
ずっと孤独だった。
私が行けば、幼稚園で過ごせる息子のために、とにかく、その日を生きることに毎日必死だった。
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