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繊細息子が母と離れられるまでの道のり



息子のメンタルが少しずつ回復してきたようだ。

笑顔が増えてきた。

昨日のフリースクールも、行くとすぐに、先生や友達の輪の中に自ら入って行ったくらい。

しばらく様子を見てから、


「じゃあ、お母さん、昼過ぎに迎えに来るね」


と、声をかけると、穏やかな表情で手を振ってくれた。


私はホッとしながらも、いつ気が変わるかわからないので、
逃げるようにその場を立ち去った。


息子と別れる時の声がげも、息子のその日その時の様子で変えている。

言い方次第で、

終わるまで付き添わなくてはならなくなる
or
数時間自分の1人時間をenjoyできる

か、私の1日が大きく変わってくる。

だから、毎回ドキドキする。
どこに地雷があるかわからない(繊細っ子あるある)。

母子分離不安が強い息子と、離れられるようになるには、

ものっすごい段階を踏まなくてはいけない。

しかも、いつそのタイミングがくるかわからないので、
心が折れそうになることも多々ある。

何度、ボッキボキに心折れたことだろう(遠い目)

今通っているフリースクールも、ここまでくるのに、約1年かかった。


最初は先生とマンツーマンの個別からのスタートだった。

それも、初日は行く間際に「やっぱり行かない」と殻に閉じこもってしまい、
先生とテレビ電話で話して終わった。


先生と顔を見て話せて安心したのか、2回目は行くことができたが、
私のそばから離れず、匂いをかいだり、手を握ったり、膝の上にのったり、
抱っこしたり・・・。

何回か通い、先生との信頼関係ができてきて、先生と遊ぶようになった。

先生はずっと息子のタイミングを待ってくれた。

去年の夏、ギンギンに照りつける太陽の下、
私は、先生と2人で遊んでる息子を遠くからずっと見守っていた。


溶けてしまうほど、暑かった。

でも、全く食べられなくなり、外にも出られなかった息子が、こうして、外で汗をかきながら先生と遊んでる姿に、

ひとり、涙した。

その期間を経て、個別ではなく、他の子供達のいる場所へと移った。

まだまだ私と離れられず、付き添う日々が続いた。

だんだん慣れてくると、私から離れたり、戻ってきたりを繰り返し、そのうち、ほとんど私のもとに来なくなった。

でも、まだ、私がそばに「居る」からこそ過ごせている状態だ。


息子は、自分にとって安心安全な存在を敏感に感じとる。

その人から感じる雰囲気だったり、声色だったり、笑顔だったり、話し方だったり・・・。

息子の表情を見れば、すぐわかる。

母である私に代わる、『この人がいれば安心』という存在ができると、もう、私がいることなんて、

ん?忘れてる?

って感じに遊び出し、

母、ポツーンってなる。

そして、息子は「イタズラ」をし始める。

この「イタズラ」が始まると、息子が、「ここは自分が出せる場所」だと、安心し始めている合図だ。

「母ポツーン」と「イタズラ」。
この2つの合図が出たら、

そろそろ・・・

次の段階いっちゃう?
いっちゃうかー!

と判断し、Let'sチャレンジ。

次は、居場所からほんの少し、私が離れる時間を作ること。

まずは、少し離れた場所に車を停めに行き、すぐ戻る。


次は、停めに行って、その先で少し買い物して、戻る。

次は、すぐに呼び出されても戻れるように、駐車場で終わるまで待機。

その期間を経て、大丈夫そうだったら、


次は、「何らかの理由」をつけて、離れ、時間になったら迎えに来る。

その「何らかの理由」もいろいろ考えた。
っぽい理由を。

病院に薬もらいに行く
歯医者さんに行く
書類提出
業者がくる
銀行支払い
郵便局に行く
荷物が届く
買い物
幼稚園提出物
学校提出物


母さん、週に何回病院行くねんってレベル
書類って、何の書類やねん
どんだけ、歯悪いねん
業者って、何?


って、理由ばかりだけど、一旦離れる「理由」が必要なのだ。

居場所から、お母さんが「家に帰る」ことは、まだ、息子の中で『NO』なのだ。

実際は・・・はい、家に帰ってます。

それはもう、ルンルンで帰ってますよ。
時には、解放された!って、泣きながら。


現在は、その次の段階。
理由をつけずに、離れる。

でも、「お母さん、帰るね」とは言わない。

「じゃあ、昼過ぎに迎えに来るね」というプラスの言い方をする。

「帰るね」という息子にとってマイナスな言い方をすると、息子の表情は瞬時に強張り、

「えっ?!どこに?家に帰るの?やだ。ここに居て!帰らないデーーーーー」

と、地雷を踏むことになる。


すんごい、細かいけれど、とても重要なポイントなのだ(繊細っ子あるある)。


そして、いよいよ、次の段階は・・・


「行ってらっしゃい!楽しんできてね」

と、車から送り出し、

「行ってきます!」

と行って、息子は居場所へ向かい、母は、車に乗って、「帰る」。


これが、次の大きな目標だ。


「行ってらっしゃい!」
「行って来ます!」



このやりとりは、繊細息子と私にとって、ものすごく難しいことなのだ。


そのタイミングは、いつやってくるか、わからない。

もしかすると、明日かもしれないし、1年後2年後かもしれない。

それができるのも、

息子にとって、居場所が、「安心できる場所」であることが今のところの絶対条件。


これからの長い人生、そんな場所ばかりではないから、
母は、ずっとそばにはいられないから、


だから、どんな環境でも強く生きていくために、その力を、コツコツつけている。


だがしかし・・・


もうすぐ、


「夏休み」が始まるってゆー・・・ゆー・・・ゆー・・・。


慣れてきた頃に、長期休みだったり、進級だったりさ・・・すんのよね。

ガクッ(繊細っ子母あるある)。



寝る前に、

「お母さん、明日は最後まで一緒にいて」

と、息子が言った。

私は、「うん・・・」

と、こたえながら、心の中では、

大きなため息をついている自分がいた。

「いいよーニコッ」って、頭を撫でたいけど、

1日中付き添うストレスのことを思うと、
ただ、「うん」とこたえるだけで精一杯だった。

息子はただ安心したいから、そう言っただけかもしれないのに。

一体いつまで続くんだろう、という気持ちと、
のんびり息子のペースで行こう、という気持ちで

母の心の中は、いつも忙しい。


幼稚園時代は、もっと過酷だった。


息子の特性を今ほど理解していなかったし、
目の前の息子を受け止めることもなかなかできず、

そんな状態の中、息子は今よりもっと母子分離不安が強かったので、

私は毎日気が狂いそうだった。
毎日泣いていた。

その時のことはまた、回想録として綴っていきたいと思う。


私と息子が乗り越えてきた過去が、
同じ境遇の誰かの救いに繋がることを、

心から願って。

フリースクールに必ず持って行く相棒
ポーラちゃん

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