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自己紹介:生まれ故郷で駐在妻

こんにちは。ブラジル、サンパウロ在住のミカです。

ブログをフェードアウトしながら手を出したnote、最近またちょっと書きたい気分になってきたので改めて自己紹介していきます。

生い立ち

私の両親は日本からブラジルへ移民した1世です。二人とも生まれは日本なのでに「ブラジル永住権を持っていた日本人」という言い方もできます。(ルーツについて気分が乗ればまた別記事にまとめようと思います)
サンパウロ郊外で日本人の間に生まれは私は「日系2世」にはなるのですが、1歳で大阪へ移住したためその後は「ほぼ日本人」として育ちました。

就活直前でカナダへ短期留学

小学校から英会話に通わせてもらっていたことから英語が好きになり大学は英語科へ進学。3年生の秋学期にカナダのヴィクトリアへ語学留学をしました。

その間にはじめてブラジルへ旅行したりもしました。「ここが私の生まれた国か...」「ずっと勉強してきたのに英語が通じない...」「記憶も思い出もないし知らない国すぎる!笑」とかなり刺激的な2週間でした。

なんちゃって東京OLをしながら養成講座へ

留学から帰国して「海外で日本語を教えてみたい」と思い始めたのもの、お金も時間もなかったのでまずは一般企業に就職。東京で初めての一人暮らしを経験しながら、4年間 英会話スクールで営業や運営をしていました。

1年目:尿管結石になり救急車で緊急入院
2年目:お金が少し貯まったので日本語教師養成講座をスタート
3年目:修了したけど転職の勇気はまだなく...
4年目:JICAボランティアを受験

ダイジェストだとこんな感じでした

27歳で初めて触れるポルトガル語と日系移民

「旅行ではなくブラジルに住んでみたい」「海外で日本語を教えてみたい」ということで応募したJICAの日系社会青年ボランティア(当時)。
無事希望通りのブラジル派遣に合格したので、すっぱり退職し、2016年6月~2018年6月まで派遣されました。

親から教わることはなかったポルトガル語を毎日勉強し、母からの話でしか聞いてこなかった「ブラジル日系移民の歴史」について向き合うことができた期間でした。

ボランティア活動についてもいずれ別記事にまとめますが、日系社会で自分の母語を教えるという経験は本当に濃い2年間でした。ボランティア経験者がよく使う表現ですが「教えたことより学んだことの方が多かった」です。

ブラジルでの出会い、帰国&結婚

そんな中、日系企業の駐在員として働いていた今の夫と知り合い、私の派遣修了を機に婚約。日本に帰国して結婚しました。半年ほどで顔合わせから結婚式まで済ませて2019年1月に再びブラジルへ。
結局のところ「2年ぐらいブラジルに住んでみたい」はきっかけでしかなく、今度は駐在妻として思ってたよりも長めにブラジルで生きていくことになりました。

形を変えて2度目のブラジル生活へ

言葉も文化も生活もそれなりに慣れていたはずのブラジル生活。しかし、駐在妻というのは日本人コミュニティーに入るということ、夫に養われる立場になることになり、2年間 培ってきた語学・海外で何か挑戦するというモチベーションはすっかり行き場をなくしてしまいました。

仕事をしたり忙しくすることが好きだったので
「自分はここで生きてる意味あるのか?」
「家事をするためだけに大学を出たのか?」
「奨学金を完済できる自信がない...」
など、特に最初の3カ月は病みました。(もちろん、働いてる人が偉くて専業主婦が悪いとかではなく、私はとてもギャップを感じてしまったという話です)


自分が「ある程度忙しくないと精神的に死んじゃう」ことに気付いてからは働き口を探し、今の語学スクールに辿り着きました。

現在とこれからのnote

現在は日本語のオンラインレッスンを在宅で続けながら、声かけられたときは国際交流基金のイベントをお手伝いをしています。
正直どれも時給がいいわけでもがっつりどこかに所属しているわけでもありませんが、(OL時代のように健康を犠牲にすることもなく)主婦というライフを重視しつつ、過去の経験を生かしてゆるワークできているのかなと思います。

このnoteではサンパウロ生活で役に立ちそうな情報や、駐妻または日本語教師としての気づきなんかを書き留めていこうと思っています。

インスタグラムが一番出現率が多く発信コンテンツも多めなので、よかったらこちらもフォローよろしくお願いいたします。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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