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「みんないってしまう」

直木賞作家の山本文緒さん著「みんないってしまう」。

もう20年以上前になるが、

この作家さんの本にハマって

たくさん集めていた。

ずいぶん読んでいないので細かいところは忘れてしまった。

人間関係が煮詰まっていく様子や、

ずるさ、いやらしさ、汚ならしさのなかに

「これもありか」とすとんと納得する瞬間、

ふとした小さな希望を見せてくれるのが好きだった。

短編も長編も良いが

特に短編がどれもおもしろい。

そんななかでタイトルの

「みんないってしまう」。

掴まれる。

文緒さんの本を夢中で読んでいた頃から時間がどんどん経つ。

その間にこの言葉が何度となく胸をよぎった。

結局「みんな、いってしまう」んだよね、と。

友達だって、親兄弟だって、付き合っていた人だって。

いや、完全に目の前から消えてしまうわけではない。

繋がっている部分もある。

ただ繋がっているときの濃度が保てなかったり、

ガッチリと太い綱で結ばれていたのが

蜘蛛の糸のような切れそうなほそーい糸になったり

繋がり方が変わっていく。

ともに過ごした時間が濃厚で充実したものであればあるほど、

物足りなくなったり、寂しくなったり、心細くなったりする。

それで「いってしまった」という思いが特に強く心に残るのだろう。

だから今、家族と共に過ごしていても

友達と向き合って笑っていても

いつかいってしまう。

私だってこの人から去る日が来る、

と胸をギュッと鷲掴みにされる。

それは子供の頃、

夜中に「死んだらどうなる?」と考えすぎて

「絶対に避けられないんだ」

「本当にいつか死ぬんだ…!」

といてもたってもいられなくなり

布団のなかで「わーっ!!」と

叫び出すときの気持ちに似ている。

******************

ここでの出会いや別れも同じ。

noteは1年半くらいやっている。

誰かの為になる文を書いている訳ではない私にも

たくさんの出会いがあり

奇跡のような巡り合わせもあった。

すべてあの日、noteを始めなければなかったことだ。

一方で生活の一部になるくらいやり取りを楽しみにしていた人、

心を通い合わせることができた(と信じる)人のなかにも

去っていったり、いつの間にか更新がなくなっていたりということもいくつかあった。

過ごした時間が濃厚であればあるほど

「いってしまったんだな」

という思いが強くなる。

正直いってとてもさみしい。

ずいぶん心を注ぎ込んでたんだなあと

現実だとわりと人とはうまく距離を取れるタイプなので

我ながらびっくりする。

これも自分の一面なのだと一皮めくられた気分で、

たかがnote、されどnoteである。

私は強く発するものがあるというよりは

ダラダラ(というとネガティブな感じがするかもしれないけど)

すきなときに備忘録的に発したり

思いをぶつけたり、

他の人のnoteをのぞいて刺激や感銘をうけたり

コメントをやり取りして楽しむ使い方だから

なんとなくここには居続けると思う。

そうすると、また出会いと別れが自分の上を通りすぎていくのだろうか。

喜びと寂しさが。

本が手元にないので詳細は曖昧だが、、

山本文緒さんのお話の最後は

色々なものを失った主人公が

ベランダで夜風にあたりながらお酒を飲んでいると

隣に住む年配の女性がベランダに出て来る。

初めて言葉を交わし、

手元の飲み物を軽く上げて新しい出会いに乾杯する。

すがすがしく、希望のある結びだ。

そんな気持ちになれるときと

なれないときがある。

このまま留まれないのなら

どうして喜びがあったの?

あのときの喜びが寂しさをいっそう濃くするのに。

けれどいつかきっといってしまう。

万物は巡る。

月日は百代の過客にして

しかももとの水にはあらず。

巡るから綺麗。

感情も巡る。

狂おしい気持ちも凪のときもすべて。







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