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【思想】伝える力

こんちは。1週間が早い。
また長い極端な戯言です。良ければ。

赤ちゃんは、お腹が減ったり何だか体に不快を感じると、
泣きます。
子供は、好きおもちゃを買ってもらえなかったり、思い通りに行かないと、
泣きます。
大人は、それらの集大成、全部を持ち合わせて、ときに私の様に
嘆きます。

なので子供から大人の間、それ以降は、
”感謝”することで心を保ちます。

だからと言って色んな事柄に反応する中で、
感謝だけであれこれ解決するのはとても難しいことです。

数年前、
「感謝してあげたやん」
「謝ってあげたやん」
とか、大変面白いフレーズを大人から聞きまして、
今回は”伝える力”とはなんぞや。
って話をします。

「ありがとう」ってとっても気持ちの良い言葉で、
言う側も言われる側も気分が良くなります。
だから小さい頃、他人に良いことをされたとき、
「ほら、言わないといけないことあるでしょ?」と教育されます。
子供は「ありがとう」と言うと大人に褒められます。

「ごめんなさい」というときは、
自身が何か悪いことをした、罪の意識があるときに使います。
子供の頃は「ほら謝りなさい!」と大人から言われ、
「ごめんなさい」と子供は言うでしょう。嫌嫌でも。
大人は「よく言えた。偉い!」と褒めてくれます。

話を戻します。
「感謝してあげたやん」
「謝ってあげたやん」
これらを初めて聞いた時、
「褒められたいんかこの人?」って思ったんです。

「ありがとうって感謝してあげてんのにお前もありがとうって言わんかい」
もう私からすると頭が狂いそうな文言で、
せっかく綺麗な言葉で使うべき「ありがとう」を、
まぁここまで汚せるかねと。
助かったら「ありがとう」でええやないかと。

赤ちゃん、子供、大人…
と3分割するのはこれから先の時代、あれこれ言われそうな気がするので、
年齢で分けたりはしませんよ。
が、今話しているのは現代平均寿命の真ん中付近の方々で起こったことです。

もう一度、話を戻します。
「感謝してあげたやん」
「謝ってあげたやん」
って聞くと、
「今まで褒められることがなかったのか?」とも思ったんです。

「褒められる行動が出来ない」というと、
まぁ本当に難しい。
しかし、平均寿命の真ん中付近まで来てそんな人と出会ってしまうと、
「今まで褒められなかった人て、こうなるんかな。」って、
少し残酷な考えになってしまいます。

一応、言い訳として言っておくと、
私はどんな人でもどうにかコミュニケーションをとりたい。
と思っています。
だから、何がキッカケでそんな言葉が出るんだろうとか、
何が目的でそんな言葉が出るんだろうとか、
いや、かと言って私がどうやって褒めるねん…
ありがとうって言えて偉いねぇってそこそこ歳近い人に言えんて…
と、大変困るわけです。

これ日本語の限界というかルールというか、
そんな部分もあるのかなと。

例えば「すみません」と「ごめんなさい」は、
外国の言葉を勉強した方なら必ず通る道だと思いますが、
日本と外国での解釈が違います。
日本では感謝の意味でも使えますし、「ちょっと失礼」みたいなニュアンスでも使えます。
一方外国で辞書に載っている謝罪の言葉を連呼すると、
「私は惨めです」と言っている様なもので。
もちろん人に謝りたいときは使いますよ。
悪いことしていないのに相手から「ごめんなさい」って言われると、
「え?なにが?」となる感覚です。
自分の意見を発信するときも「すみません」
他人の意見に抗議するときも「すみません」
人に感謝するときも「すみません」
便利っちゃ便利。

でもまぁ…日本人らしく謙虚な感じで良いですね。
常に腰が低く、誰にでも丁寧で、横柄には見えない。

これが弊害なのかなと。

「ありがとう」と言ったけど、実は感謝の意味ではなく、
「ほれ、自分が悪かったって謝れよ?」を察しろと。
これが”思いやり”なのか。
私はこれが本当に苦手。全然察せない。分からん。

感謝の言葉や謝罪の言葉をそのまま受け取っちゃいけない。
実はそこには裏の意味があって、表だけで理解してはいけない。
これが日本語の綺麗で不思議で少し不気味な部分だと思う。
だから日本人の”精神面”って外国からみて面白いのかなって。

「うほ、うほほほほほ、うほほ!」って動物が喜んでる素振りを見て、
「実はめちゃくちゃ悩んでるんやろなぁ」とか、
まぁ思わんて。

で、タイトルの”伝える力”です。

他人の”伝える力”を知るためには、
色んな人に会って失敗を繰り返して学んで、
察する能力を身につけるしかないかと。

しかし、”伝える力”を育てるには…?
”私はこう思っているんだ”という自身の欲を叶える努力とは?

その人が頑張るしかないんですよね。
だって自身の欲を叶えるためですから。
自身の欲を叶えるために他人を使いたいなら、
相手が親でもない限り、相当頑張らないと。
”頑張る”ってのもその人の知恵そのもので、
まぁ一番多いのは嘘のゴシップをばら撒くことか。
それで報われた人見たことないけども。

これ余談で私情なんだけど、
昔飲食で働いていることがあって、
「顔で笑って心で泣く」とか
「笑う門には福来る」とか
とにかく笑顔でいれば大体どうにかなるのかな、
と思ってた時期があって、
暗い顔してたらダメなんだ!ってニコニコしてたら、
もちろんお客さんからは評判良かったんだけど、
社員の中では、「いっつもヘラヘラしてる人」ってなっちゃって、
いや難しすぎるやろと。

ただね、
ただね、
”伝える力”って音楽に直結しててさ、
どうしても避けられないし理解したいし、
色んなパターンを見てみたい。
「それはただのワガママやないかい笑」みたいなのも含めて、
そういう表現が得意な人、として前向きに解釈したい。
が、自衛として保身として、
あまりに大暴れされるとそれは困るから、
”他人のワガママ”ってのに上手に付き合えると、
”自分のワガママ”ってのも見えてくるのかなと。
なんかこう、”鏡”のような…

言語のせいなのか、そうじゃないのかは分からないけど、
察する力とか思いやりとか、
あんまり勘違いするとそれこそ、
「自分の意見が!!!」みたいな、
なんか安っぽい承認欲求になっちゃうのかなーって。

思っていることとか感じていることは発揮すれば良いけど、
自身の”伝える力”にある程度の責任を持っておかないと、
「伝わらないやつが悪い」みたいな、
どうしようもないことにもなっちゃうなーって。

「私は発言したから正しいんだ!」とかではなく、
ラインでしつこく文章を送るのが正しいのではなく、
”何をして欲しいのか?”の「お願いします」の精神を持っていないと、
大人同士では話が進まないんだろうと。

人は独りでは生きていけないんでね。
「お願いします」の使い方が時々壊れている人がいて、
「これこれちゃんとしてください。お願いします。」ではなく、
「これをやってくれると助かります。お願いします。」なわけで、
”頼み”と”祈り”と”強要”がごっちゃになるとね。

親から
「勉強しろ!」って言われてやらなかった人はさ、
「勉強しろ!お願い!」って言われたら、
やるんかいなと。

”伝える力”は難しい。
精進精進。
それでは、よい週末を👋

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