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【音楽】指導と教育と分析と導き

「なんで分からんかな?」
と言われれば、縮みます。怖いですよね。

今日、”指導、教育”というものの考え方に変化が起こっています。
”愛の鞭”という言葉が冗談では通じなくなっています。

正直、普段の仕事面では便利な面がたくさんあります。
・分からないことは分からないと言えること。
・教育係にも指導(コンプラ研修等)が入ること。
・問題が起こればコンプラに則って上司や司法を頼れること。

優しく丁寧に仕事を教えて貰える保証、とでもいいますか、
極論ですが、「私が出来ないのは教育係が悪い」と言えてしまいます。

「先生が悪いと私もダメになるので、担任を変えてください。」
これはこれで恐ろしい世界。
ただ、冗談ではなかったりします。

私はそこまで高齢者ではないので、
昔はどうやって上下関係を作っていたかのかは想像の範囲ですが、
”信頼、尊敬”という人情で成り立っていたのかなと。

音楽の世界での話をします。
専門家になるには必ず先生に教えてもらいます。
その先生は私よりも圧倒的に上手だと実感できるから、
”信頼、尊敬”が生まれます。

ただそのレッスンは時より、よく燃えます。
「なぜ練習して来ていない?」
「なぜ出来ないんだ?」
「なぜそれが分からない?」
”信頼、尊敬”の関係にある場合、
私も良い意味で、よく燃えます。
「失礼なことを言われたからやる気なくなった。あの先生嫌だわ。」
と思うことは一度もないです。

こういったレッスンを、
”信頼、尊敬”の解釈と言いますか、
「自分よりもめちゃくちゃ上手だ!!羨ましい!」
と思う。か、
「この人は厳しいから怒られないようにしとこ。」
と思うのでは、
受け口の差が大きいです。

現在、
この前者と後者が”楽器の先生”として後世にあれこれ伝えています。
しかし、ここで先ほど述べた今日のコンプラが顔を出しますと…

「私の時代はこうやってレッスンを受けたんだ。」
と、現代では真逆の世界を教え子に突きつけることになるんです。

そうか。それでは時代に則って。
「そうだ。やりたいことをやるんだ。」
「そうだ。君のマイペースは天才だ。」
「そうだ。君は素敵な人間だ。」

これは”時代の変化”で落ち着く?
どんな名演と言われたものの理解より、
未知の個性を押す?
ギャンブルギャンブル。

小中高のレッスンでは褒めて褒めて褒めて。
良い。それで良い。
専門家になるわけではない人が知っておくべきことは、
部活動という”協調性”
それはそれでとても大事。
それで良い。

考えることが多いなと。

”楽譜通りにさらってないやん!”
と、専門家に言われたら、
現代、専門家は何をしますか?

おやすみなさい👋






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