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【思想】”嘘”は手段の一つ

「嘘も方便」
少しでも”嘘”を前向きに解釈するためにも、
ツラツラと。殴り書きなので読みにくい上になっがいです。

私は”平気で嘘をつく人”がめちゃくちゃ苦手です。
のちにバレてもケロッとしてるタイプの。

昔子供の頃に小さい嘘がバレてしまって、
とっても恥ずかしい思いをしたんですよ。
バレたときに必死に言い訳する自分の姿が、
すっごく情けないって思ってしまって、
出来る限り嘘はつかない方が良いな、と。

ただ、この時に”情けない、恥ずかしい”と思っていなければ、
今でも息をする様に嘘をついていたと思います。

嘘にはざっくり2種類あって、
”保身のための嘘””他人のための嘘”がありますが、
特に前者を見るとゾワゾワしてしまって、
苦手です。
これはその”情けない、恥ずかしい”というスイッチが、
私とは違うんだろうなと思うわけです。

なので今回はこの”情けない、恥ずかしい”スイッチをとっぱらった状態で、
あれこれ考えてみようかなと。
(長くなるので前者のみ)


まず”保身のための嘘”の一つ目。
基本自分を大きく見せるための嘘です。
「すごいね〜さすがだね〜」って言われるためならなんでもあり。

確かに、私小学1年のときに
親戚に「すごいね〜」って言われたいがために、
「一人で電車に乗って〜〜駅に行ったよ!」
って嘘をついたんです。
お小遣いもなければ切符の買い方も知らないのに、
勢いで言っちゃったんですよね。
もちろん親戚は、
「賢いんだね〜!すごいね〜!」って言ってくれました。
が、なんかもうその歳でも独特の恥ずかしさというか、
「どうやって行ったの?」って聞かれる怖さというか、
「頼む、ここでこの話は終わってくれ」って祈っていたのが
記憶にあります。

ただ、なんか勢いで言いたくなるんですよね。
その感覚は分かります。
なので、中学校くらいまでは定期的に
自分を大きく見せる嘘をついていました。
(有名人が知り合いの知り合いとかあーはずかち)

でも、それで偉くはならないんですよ。
嘘つくのも疲れるし言い訳考えるのも面倒だし、
何よりバレるのが怖い。
だからバレることのない嘘をつくんですが、
それはそれで壮大な物語になってしまって、
「そこまでして大きく見せんでも普通にあったこと話せばええんか🤔」
って気づいたんです。そっちの方が楽で。

んで、私はたまたまそっちの方が楽だったので、
そういう系統の嘘は付かなくなったんです。
が、まれに嘘をついている方が楽依存のまま歳を重ねた方がいまして、
そういう方達とどうやってコミュニケーションを取ろうかと。


で、”保身のための嘘”の二つ目、
文字通り、「私は悪くない」のやつ。
何かトラブルが起きた時に人のせいにしたり責任放棄したり。
ただ、これの悪質な所は「そもそも嘘から始まった作り話」に付き合う場合、
「私は悪くない」って言いたくなるんですよ。
だからその場合、相手に根掘り葉掘り聞くんですが、
「まぁそんなこともあるやん」とか言って同罪にされて逃げられます。

なんで私がそういう方にそこまで苦手意識があるかと言いますと、
たまに”他人の噂話にも嘘が含まれている”ことなんです。
そういう雑誌はたくさんありますが、
あれはあれで有名人の追っかけというか何と言うか、
気の毒だとは思いますが、有名人ってそういうリスクあるよなぁとも思ったり。
でも有名人でもない素人界隈で
”他人の噂話にも嘘が含まれている”話って、
関わるだけでリスクなんですよ。

「○○さんが△△さんにこう言ったらしいぞ。」
みたいな話は本当に怖くて、
自分を情報通なんだとアピールしたいのか分かりませんが、
私が○○さんのことを慕っていた場合、
胃がキリキリするんです。
本当でも嘘でも出来れば聞きたくない話であって、
そんな話をドヤ顔でベラベラ話す人間の表情が読み取れず、
「あれ、この人私が○○さんと仲良いの知ってるはずよな…」とか考え出すと、
まぁ面倒。

で、大体ネガティブな話なんですよねこういうの。
もしかしたら正しい情報かもしれないんですが、
証拠がないと気分が悪いだけでスッキリしないんですよ。
下手に同意すると一緒にそんな話をしていたって事実になりますし、
なんせメリットがなくて厄介なんです。
だからそういった人からは距離を置いていたりします。

が、その人にとってはそんな話をしている方が楽しいみたいで、
そこの共感をなんとなく得たい。
ただ、私の小学生中学生時代を見ている様で、
どうしても体がムズムズしてしまう。

「他人に興味がない」とスイッチを入れてしまえば、
まぁどんな話でもどうでもええや、って思えるんですが、
興味がないからこそその人から離れたくなりますし、
「他人に興味がある」とスイッチを入れてしまえば、
証拠もないのによくそんな話ベラベラ話せるなって、
不信感を持ってしまうんですよねぇ。

うーん極端。

ほんで、タイトルの「”嘘”は手段のひとつ」
あくまで手段なんですよね。
真実がどうであれ、内容がどうであれ、
その人にとっては、
”人と話す手段”なのかも知れないのかなと。

話題がないと人と話せないって方は、
話題を作ってしまえば良いわけで。
自分に共感されたい!って思っている方は、
共感されるような作り話を生み出すわけで。
コミュニケーションの一部なのかな。

これは自分語りの実体験ですが、
過去に適当に他人の噂話や嘘を聞き流していたことがありまして、
気がついたら私自身に矛先が向いていまして、
もう取り返しがつかないくらい誤情報が蔓延してたことがあったんです。
「いやいや、そんなことするわけないですやん」って言っても関の山。
人の情報で楽しんでいる人たちがドヤ顔で言うんですよ。
「おかしいならその時言えよ」とか「火のないところには煙は立たない」とか、

いや、それ放火やん。
誰が何言ってるかなんて把握してないて。
んで、いちいち否定してても言い訳って言われたら終いやがな。
大体10個の出来事の中、1個が真実なら9個嘘でも通じたりするんですよね。

で、本当に面倒だから嘘が苦手なんですが、
これらを手段として使っている人。使っていた人。
すごいなって思ったのは
ショーンKさん。
もうあそこまでいけば嘘を見抜く目利きを持っていないこちらの問題で、
”嘘をつき続けてその世界で努力する”って意味では、
相当頑張った人なんだろうなぁって思ってたり。
結局諸々バレちゃったけど。

正直、詐欺師になるくらい嘘が上手なら、
多分その人は相当賢いんですよ。
尊敬する、と言えば語弊がありますが、
才能といえば才能なんだろうなと。
嘘を嘘で隠し通すのも努力のうちなのかなと。

嘘が嘘ってバレている時点で嘘なんですが、
賢くない人の嘘に振り回されて無駄な時間を割いたりするデメリットを、
少しでもメリットに変えようと頑張って書いたけども、
でもやっぱり苦手は苦手か。

”正直に嘘をついている”って感覚が、
どうもムズムズしてしまう。

”本物”と”偽物”って言葉がありますが、
”本物の偽物”とか”偽物の本物”とか
不純物100%はもはや純粋みたいな、
何を言っているんだ私は。

さて、とりあえず伝えたいのは
私はバレる様な嘘が苦手ですが、
賢く使えば”嘘は手段”になるということ。

なので「嘘つきは嫌いだい!!」って一方的に避けるのではなく、
手段として何かしら変えようと努力してるんだろうな、って軽い気持ちで見つつ、
あぁーでもこの人賢くないんかもな、って線引きするには、
騙されるよりマシなのかな。

まぁ、極論、
嘘を嘘と認めなければ嘘にならない。

嘘をつくのもセンスが大事ってことですな。
コミュニケーションを楽しもう。
読んでくれてありがとう。
それではまた👋

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