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フィリピンで語学学校の先生の家に泊まった話

穏やかな旅路だった。家のそばには海があって、青く輝いていた。私はその美しい光景に吸い取られるように塀に身を乗り出して、真下の凪を眺めた。そこには、黒いヘドロみたいなものが、幾万もの黒い虫の羽のように漂っていた。


ティーチャージェナの招待で、初めてフィリピンのローカルピーポーのお家にあがらせてもらえることになった。私を含めて6人だ。一人は男性だが、ゲイで彼氏持ちなので無問題である。


バスに揺られて一時間以上。途中でジプニー(バスみたいなもの)を乗り間違えて3マス戻る。そんな苦難を乗り越えて、辿り着いたのはpm6:00、夜が幅をきかせてきた頃だった。


フィリピンのバスの中


私達はまず市場に向かった。港に並ぶ大きな倉庫みたいな建物の中に、小さな屋台が列を作って並んでいた。黒い血を流す魚や肉の生臭い匂いが周辺にすっかり染み込んでいて、新鮮に見える野菜からも強烈な血の匂いがすることに、しばしば混乱した。私が、フィリピンではこういう市場がスーパーマーケットより一般的なの?と尋ねると、ジェリミーは、そうよ、この場所はまだ進んでいる方なのと言った。そういえば、ハエがたっぷりたかっている露天が軒並みあるところを見たことがある。ちょっとしたマーケットかと思っていたが、あれがフィリピンでいうスーパーらしい。ここは室内にあるぶん、多少衛生的で先進的なのかもしれない。


ジェナの家はとても小さかった。口汚く言えば、日本の古い家の敷地内にある、ちょっとした小屋みたいだった。玄関はないので、外で靴を脱ぐ。ドアを開けると、小さな部屋が二部屋あった。各部屋に大人2人立って並ぶと、もう圧迫感を感じるほどの窮屈さだ。ジェナは彼氏と二人で住んでいるそうだが、ギリギリ生活できるサイズだろう。
木製のドアは開閉するたびに軋んだ。なにかの板で作られた壁には、塗料もされていなかった。あまりにも頼り甲斐のない家だった。

ジェナが、家の外にある、水仕事ができる共同スペースで、晩御飯の下ごしらえをしてくれた。ドレアとジェイン、ジェリミーが、家の前で木炭と紙を使って焚火を作り、魚と肉を焼いた。レイブンは焼けた肉を細かく切って皿に盛り付けてくれた。私達は外にあるベンチと、海とこちら側を阻む塀に座って、それらを食べた。
塀から見える真っ黒な海と、その先にある建物の火花みたいな生活光が美しかった。


料理は、どれも本当に美味しかった。味付けが白ごはんにピッタリなものばかりだった。米を愛する国同士、味覚が合うように感じた。私は特に、魚の身の中に細かく切り分けられた酸っぱい野菜がゴロゴロ入っている料理にゾッコンになった。白身の柔らかな塩味と口溶け、それにトマトとカラマンシーの酸っぱ旨さといったら、口舌に表せるものではなかった。


焚き火と夕食


料理をするときにも利用した例の水仕事場には、蛇口が一個、忘れられた電池切れの街灯みたいに佇んでいる。実際は近辺の住人も使う、共同区間にあるたった一つの水場だから、人々は毎日それを使う。なので、蛇口は忙殺されるまで働かされているわけだけど、仕事場を照らす無機質な白い電球が、蛇口をそんなふうに演出していた。蛇口の下にはバケツがあって、バケツの中には水を汲む道具が入ってた。神社にある、ひしゃくの水を組む部分を大きくして、持つ部分を短くしたようなものだ。これはフィリピンのほとんどのトイレにあって、この国では生きている者は、それでトイレを流す。私たちが使うような自動の水洗式トイレは、ショッピングモールなどの大きな施設にしかない。シャワーを浴びるときも、シャワーヘッドなんてないのが当たり前だ。そのひしゃくみたいなものを使って、バケツから水を汲み、体の泡を流す。
したがって、ナイトプールから帰ってきた私達は、水着を着たまま(私は水着を持っていなかったので下着で)蛇口の周りで身体を洗った。洗う時に男性の人影が見えて驚いたが、ゲイのジェリミーだったので驚き損だった。ボディーソープを含んだ水は、簡単に形を整えられた岩肌のような地面を滑り落ちて、側溝に飲み込まれていった。たしかに、こんな場所で裸になれるわけもないけれど、フィリピンでは服を着たまま体を洗うのが当たり前らしい。


体を洗った後は、その日着た服を手動で洗った。桶の中に洗剤と水と衣服を入れ揉みこむのは、重労働であったが楽しかった。ただ、これが生活を保つための家事の一つになると考えると、仕事と家事だけで1日が過ぎ去っていくことも、あり得ることに気が付いた。年をとればそもそも出来なくなるだろうし、身体に障害を持つ者や子供には、巨大なカーテンで赤ちゃんを何人も包み続けるくらい大変なことだろう。


洗濯を終えるころには、すっかり丑三つ時になっていた。私達はお酒を飲みながら、小さな部屋にぎゅうぎゅうに丸まって座り込んでいた。何人かは部屋に入りきらず、机の上に腰を下ろしたり、隣の部屋から半身だけを覗かせていた。いつからだろう。先生達はいつのまにか、シリアスな顔をしてセブアノ語を話しはじめた。さっきまで英語で話そうとしてくれていたのに、全くそのそぶりもない。理解できなくて退屈だったし、疲れもあったので、私は一番乗りで布団に転がり込んだ。(寝床もやはり6人で寝れるようなものじゃなかった。どうやら何人かは布団以外で寝たらしかった)寝る間際に見た記憶は、ドレア達が扉の隙間から私のことを「baby」とからかっている姿だった。


翌朝、目が覚めるとすでに美味しそうな朝ごはんが出来上がっていた。生肉か生魚に、何かの旨みが加わった一品が、格別白米に合った。私はおかわりも頂いて、それを堪能させてもらった。(朝まで眠って準備も手伝わなかったのに)


朝食後、私達はまたプールに向かった。レイブンとジェインは用事があるらしく、先に帰っていまった。寂しかったが、こういう自由なところがフィリピンらしく、羨ましいとも思った。
プールで、私達はいくつかゲームをした。そのうちの一つが、半年以上たった今でも忘れられない。単語連想ゲームだ。しかも、母音を揃えなければならない。「tripーslipーclip」みたいなふうに。とんでもない、わたしはラッパーでもなければ、日本語でも韻をふめないのに。ゲームはいつも、わたしのターンでつっかえた。みんな困ったような、励ますような顔をしていた。たぶん、わたしだって、そんな顔をしていた。


このようにして、楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていった。私達は同じバスに乗って帰宅した。学校に着くと、疲れに身を任せたままベッドに倒れ込み、ゆっくり心身を休めた。


翌日、授業でのレイブンの様子がおかしっかった。あのときのシリアスな顔をしているのだ。丑三つ時にセブアノ語でなにかをしゃべっていた時の。

「あなたが寝ていたとき、なにを話していたか言おうと思うの。だけど、どうか怖がらないで」

レイブンはあやすような発音でそう言った。わたしはなんのことだかよくわからなかったので、内心ドキドキしながら頷いた。
彼女は私の理解できる簡単な言葉を使って、あの夜のことを話し始めた。

午前2時。フィリピンでは、その時間にうるさくしてはいけないと、親から教わるらしい。それは、人以外の存在が跋扈する時間だから、と。彼らはあのとき、どうやらなにかを感じていたらしいのだ。霊感が強いというジェインは、特にその違和感を感じていたらしい。そういえば様子がおかしくて、ずっと何かに焦っているような態度であった。そのときは不調か、なにか気に障ることをしてしまったのかもしれないと考えていたが。運動をして、お酒を飲んで、リラックスしていてもおかしくないのに、先生達の間になんだか緊張した空気が流れていたのは、その珍事件が原因だという。私を怖がらせないために、わざとセブアノ語を使って内容を伏せていたそうだ。
レイブンはジェナの家から帰宅したその日、おかしな夢をみたらしい。スキンヘットの老男の夢だ。体ははっきり見えたが、瞳や顔は影になってほとんど見えなかった。あたりは真っ暗で、ただ、男がこちらに向いていた。そして、偶然なのか必然なのか、ジェインも似たような夢を見たそうだ。同じくスキンヘッドの老人で、足がなかった。顔は見えたという。男は、虚ろな瞳を屍から浮き出た油のように輝かせ、こちらを見ていた。
ホストであったジェナに両者のみた悪夢を説明したところ、ジェナの家の向かって正面の青い屋根の家で、足の悪い老人が自殺していたことがわかった。彼は、一人でその家で暮らし、孤独な最期を迎えたそうだ。わたしは背筋から心臓を冷たい手で撫でられたような身震いした。


日本に帰って随分経つが、あの時経験した怖気立つ思いは、今でもこの胸に残っている。塀を乗り出して海の際をみると、黒いヘドロみたいなものが、幾万もの黒い虫の羽のように漂っている。それはまるで、孤独な老人が海は美しいだけではないぞと、こちらに訴えかけているようでもある。
異国の優しさに包まれている間、わたしは摩訶不思議な存在に、意図せず近づいていたのかもしれない。

ジェナの家から見える海


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