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Twitterの過去の呟きから自身の原点を振り返る

お久しぶりです。
御神楽 樹林です。

ふと思い立ち、過去のTwitterのログを読み返していたのですが、呟きの中に、私の原点に関わるようなものが沢山あったので、少し掘り起こしてみようかなと思います。

私がTwitterを始めたのは2010年6月。
実に12年前の事で、まだ大学院生だったころでした。

この記事を書くにあたり、少し読み返してみたのですが、私は昔から小難しい事を考える人間だったという事が判明いたしました。

それでも私の芯の部分だけは、今も昔も変わっていないようです。

以下からは、私の過去のとりとめのない戯れ言です。

◆Twitterの過去ログ

◯2011年 9月


「本当の思いやりってなんだろう、と思ったりする。どちらか一方のことは思いやれても、もう一方のことは思いやれない。
それでも思いやりというのだろうか…。」

◯2011年10月


「逃げたくても、逃げてはいけないものがある。辛くても、負けてはいけないものがある。苦しくても、諦めてはいけないものがある。目をそらしてはいけない。真摯に向き合わなくては・・・。」

「人は、言葉で人を救うことも出来れば、言葉で人を傷つけ、それこそズタズタに引き裂くこともできる。表面上は笑っていても、心がズタズタに引き裂かれていることは…ある。」

「人は、喜びだとか、悲しみだとか、いろいろなことを経験しながら生きていってるんですよね。経験がなければ、何もわからないから、きっと人として成長もできないのだと思います。経験を、いかに生かしていくか、そういうのも大切なのかもしれませんね。」

「選択だとか、人としての在り方だとか、本当にいつも何かを問われている気がします。だからこそ、人生というのかもしれませんね。人としての生き方、生き様、そのひとつひとつが人生なんですよね。」

「人と人とは、互いに信頼してこそ、よい関係が築けると思う。もちろん、相手に信頼してもらう事は簡単ではない。けれど、日々の積み重ねが、やがて信頼になっていくのだと思う。まず人を信じること。人を信じるのは簡単そうで難しい。だけど、こちらから信じなければ相手もきっと信じてはくれない。」

◯2011年11月


「複雑に絡み付いた鎖に締め付けられるのは毎度の事だけども…。身動きが取れなくなっても、その鎖に触れてくれる人がいるから、また前に進めるのかもしれない。いつか鎖をとくことができたら、その先にはどんな世界が広がっているのだろうか…。」

「迷っても迷っても、迷路には必ず出口があるもの。自分の足で歩かなければ、その出口には近づけない。」

◯2012年1月


「言葉は難しい。書き方や言い方によって、あらぬ誤解を生むことがある。そして相手に深い傷を負わせることも。言葉は優しいものであると同時に、鋭い刃物でもある。言葉を人を包みこむような優しいものにするか、人をズバズバと切り裂くような刃物にするかは、その人次第。」

「誰かに、本当の意味での優しさを与えることができる人は偉大だと思う。「人に優しく 自分に厳しく」とよく言うけれど、本当の意味で誰かに優しさを与えるのは、そう簡単なことではないと思う。見返りは求めてはいけない。心の底からその人のためを思う。これは難しいことだと思う。」

◯2012年2月


「物事は実際に体験してみないと、それがどういう事かわからない。そこにある悲しさも苦しさも、嬉しさも楽しさも、全部体験してみて、はじめてそれがどういう事なのかわかる。だから、生きていると、いろいろな体験をするんだろうなぁ。」

「その体験は、時として深い傷をつくり、ズキズキ痛むことがあるけれど…。でも、それだけでなく、心がおどるような、ウキウキした体験だってある。両極端なものだけど、結局はそういう体験の繰り返しが、今の自分を作っているのだと思う。」

「どれもおそらく通らなければいけなかった道で…。ある意味、自身に対する試練なのだと思う。」

「何気ない言葉で人は傷つく。たとえ言った方にその気がなくても、それを受けとった側は傷ついてしまうことがある。しかもそれは外側からはわからない。だから難しい。」

◯2012年3月


「生きているからこそ、悩み、苦しみ、そして傷つく。生きているからこそ、喜びを感じ、幸せを知る。感情は時に厄介…けれど、その感情がなければ、結局は何も感じる事がない。人の温もりや、あたたかさに触れる事もない。」

「生きる事は決して楽ではない。むしろ苦の方が多いと思う。でも人生は日々勉強。そこから何を学べるか、何を吸収できるか、何を感じとるのか、そういった事が大切なのだと思う。」

◯2012年4月


「心が許容量を越えると、周りが見えなくなってしまうことってあると思います。私もそうです。どうしてもそうなってしまうのだと思います。後悔しても取り戻せないものは沢山あります。でも、その後悔をこれからにつなげていきたいなと思います。」

「人は集団になると、その内部だけに目をやって、外側に目をやる事ができなくなってしまうものなのかな?」

◯2012年5月


「「平等」。口では簡単に言えるけど、本当の意味での「平等」って、かなり難しいのではなかろうか。人である限り、やはりどこかで私情が絡んでくるような気がする。むしろ、人である以上、絶対的な平等は有り得ないのだろうなとも思う。」

「人の心は複雑だ…。「あいつはこうだから腹が立つ」。口ではそういってても、その実、その相手の事が羨ましくてしょうがなかったりする。」

◯2013年6月


「無い物を羨むよりは、今出来る事をやった方が、きっといい。」

◯2013年9月


「人は出会うべくして出会うのか、それとも偶然のいたずらなのか…。いずれにせよ、一時一時に出会いがあり、時にそれは、その人の生き方さえも変えてしまうような、大きな転機になる事もある。」

◯2015年6月


「無意識に「自分はこうだ」「自分はこうあるべきだ」みたいな先入観が先行していて、自身の可能性、あるいは行動そのものを狭めている部分だとか、そういうものが少なからずあるのではないかと、そんな事を思ったりもするのです。」

◯2019年10月


「信頼は、なかなか得られるものではない。
たとえ得られたとしても、崩れる時は、いとも簡単に崩れおちる。
そうなると、修復は難しい。」

◯2020年3月


「常に他人の事ばかり気にしていて、それ故に自分の事には無頓着になりがち。
そのうち、自分が本当は何がしたいのか、何を望んでいるのか、何を思っているのか、そういう事がわからなくなってくる。
本当はそれじゃいけないんだよなぁ。
もっと自分自身にも、目を向けてあげないとなぁ。」

「どんな形であれ、普段秘めている自身の思いを、実際に紡いでいく事は、必要な事なのかなとも思う。
溜まりすぎたものは、いつかおさまりきれなくなり溢れ出す。
そうなる前に、一人でずっと抱え続けている重荷を、肩から降ろす事もきっと大切な事なのだと思う。
自身の心が壊れてしまう前に。」 

◆振り返ってみて感じた事


今回私は、Twitterという媒体を通して、
自身の振り返り作業をしてみましたが、Twitterに限らず、何かしらの媒体を通して、時には自分自身を振り返る事も大切な事なのかもしれないと感じました。

人生には試練が訪れる事が多いですが、苦しみながらもどうにか進んできた自分自身の記録が、そこにはありました。

人としての在り方・言葉。
私はそれをずっと模索し続けているのかもしれません。
昔からずっと変わらない私の原点。
そんな気がします。

かなり長い記事になってしまいましたが、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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