見出し画像

一生を掻っ攫う”音楽”というときめきについて

16歳児のときめきが、一生を掻っ攫った。
そうして今もまだ生きている。わたしの人生は音楽と共にある。
今も昔も、そう思っていたい。そう在りたいのだ。

ーーー


わたしのファーストアルバム「クラゲがおよぐ街」は、ファーストアルバムである前に
わたしの母が亡くなるまでにどうしても仕上げたかった、”手紙”のようなものであるように思う。

わたしの母は、わたしが二十歳の時に白血病で亡くなりました。亡くなるまで5年ほど白血病と闘って、骨髄移植を二度受けたけど、あまりうまくいかなかったみたい。当時は骨髄移植を受ければ絶対治るなんてことをぼんやり考えて居たというのに。

わたしは高校在学中、16歳くらいから弾き語りによる音楽活動を始めていました。卒業時に記念のような形でオリジナル曲を制作して、そこからシンガーソングライターとして音楽を作るようになりました。

高校を卒業してからしばらく経つ頃には母の治療は八方塞がりで、緩和療法というか、進行を遅らせて余生をすこしでも長くという方針の医療を受けていた。そんな中で、わたしのオリジナル曲をCDにしてみないか、という話を受けて「母が亡くなる前に作品の完成を見届けてもらわなくては」、そんな思いを持ちつつアルバム制作に至りました。

あれだけ思いを、心をこめた作品はもう二度と作れないように思います。
いいや、心は込めるけれど、「クラゲがおよぐ街」を制作して居た当時を超える力量やスピード感で制作することはとっても難しいと思う。

それほど生活が緊迫していたというか、目に見えて命の期限が迫っていたのだ。

実際、母はクラゲがおよぐ街の完成を見届けた。そしてリリースイベントにも間に合った。本当によかった。

たまに「音源の作りが荒い」なんて言われることがあるけれど
あのアルバムは「(ほんとうに僅かな、残り少ない)命の期限」を意識せざるを得なかった。制作してくれた大人たちからしたらマッハで間に合わせた超大作であり、そんなクレームに対して私はどっかのハイレゾ音源でも聞いてろと思っています。

最近聞いた曲の歌詞に「16歳児のときめきが一生すら掻っ攫うから」というフレーズがあって、とっても刺さった。
10代で目覚めた”音楽”というものにわたしも翻弄されていて
今後もずっと、おそらく死ぬまで”音楽”を愛していくだろうから。


三重県で、シンガーソングライターをしています。代表曲は「ひかりとつき」など。サポートや投げ銭でいただいたお金は制作機材やサイトなどの維持費充てています。応援よろしくどーぞ!!!