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置かれた場所から逃げなさい

もう何年前くらいになるのだろう、「置かれた場所で咲きなさい」という本が出版されたのは。渡辺和子さんというシスターの書かれた王道なメッセージたちは、あれよあれよとベストセラーとなり街の書店でも長いこと「ランキング1位」として陳列されていた。わたしも読んだ。納得のいく箇所もあればいかない箇所もあった。そして思った。

「こりゃ、まずいんじゃないの」

こんな本がミリオンセラーになるとか、まずいんじゃないの、と。

「こんな本」というのは何もこの本自体を貶めたいからではない。こんなタイトルの本が売れるということはつまり、「本当は置かれた場所から逃げたい」と思っている人が何万人単位でいるってことだからだ。

逃げたい、でも逃げられない。
そんな自分を肯定するためのメッセージが欲しい。

そうして本に手を伸ばしたひとたち。

−昔、こんなことがあった。

わたしの母は理不尽にもひたすら耐える人だったのだが、ときどきメンタルのバランスが危うくなることがあった。娘としてはもちろん心配だし、母には「耐える戦略(?)」一辺倒ではなく、どうにか「自分自身」を優先して欲しかった。それはワガママなんかじゃないと伝えたくて、でも伝わらなくて、いつも四苦八苦していた。

そんななか、久しぶりに帰省し、彼女の机の上に誰かの名言(?)的なものを書き留めたメモを見つけてダメだこりゃ、と脱力したことを覚えている↓

「怠け者はできない言い訳を探す」
(うろ覚えです)

いやいやいや、あなたにいま必要なメッセージはこれじゃないよ!
むしろ積極的に怠けないとやばいよ!

結局、その後、母は心身の限界を超えて入院することになる(いまは回復しました)。

◇◇◇

ひとって、自分を肯定するメッセージしか受け取れないものなのだな、とそのときの経験からしみじみ思う。例えば究極的には行動したくないひとが「引き寄せの法則」にハマるのもそんなカラクリなのだ。いい本も処方を間違えると毒になる。

これは個人の捉えかたの問題なのか、努力の問題なのか。
そうではない、組織やシステム、ルールや構造の問題なのか。


それらを見極める前に「置かれた場所で咲きなさい」というメッセージだけを鵜呑みにするのは、安易な自己責任論を採用するのと同じ。

「置かれた場所から逃げろ」

そんなメッセージが必要なひとだって必ずいるんだ。

#日記 #本 #読書



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