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「自分らしく」なくてもいいと思えたとき、あなたはもっと自由になれる

意識的にか無意識的にかは別として、人には大切にしている「基準」のようなものがある。

迷ったとき、「こっち」を選ぶのか「あっち」を選ぶのか。もしくは「選ばない」ことを選ぶのか。

「自分らしく生きる」というのがわたしのここ数年の大切な「基準」のようなものだったのだが(もっと言えば、「ただ自分自身でありたい」のであって、便宜上使ってはいるが「自分らしく」って変な日本語だなとは思っている)、常に違和感のような、いつまでたっても焦燥感のようなものが消えなかった。

おかしいな、だいぶ「自分らしく」生きられるようになってきたのに。

そう思っていた矢先、ある本(※)を読んだことがきっかけで気づいた。あぁ、わたし、ただ「自分らしさ」に執着していただけなのだ、と。

「なるほどねぇ、『自分らしく生きられない』って、思ってるのかもね」

「最近こんなことに気づいたんだけどさ」と話し出した真夜中のテーブルで、パートナーにあっけなく確信を突かれて「そうだねぇ」と返す他なかった。

「こうありたい」と願う裏側にはいつも、「だっていまはそうじゃないから」という現実がある。もしくはいつの間にかインストールされた世界観への反発。あるいはいつの間にか選びとった思い込みからの逃避。

「自分らしく生きられない」という前提がわたしのなかにこびりついていて、そこから逃げたくてことさら「自分らしさ」に執着していたのだ。

「『自分らしく』は概念でしかないから、いつまで経っても概念の世界から出られないんだよ。もっと具体的に、『つくりだしたいもの』は何かって考えたら何になる?」

真面目な会話をするときの常で、ライフコーチのようなことを言う彼と、それに答えるわたし。

「・・・『自分らしい』とか『らしくない』とか関係なく、やりたいと思ったことをただやる人生、かな」

「ふーん、いいじゃん」

こうしてわたしはここ数年握りしめていた「自分らしさ」という基準を手放したのだった。ありがとう、愛してるよ、でもさようなら。

さぁさぁ、概念の世界から飛び出して、人生のキャンバスいっぱいに落書きしようか。グチャグチャでも、くだらなくても、どこかでみたようなものでも、もう構わないから。

※ある本とはこれ↓


#日記 #エッセイ #自分らしさ




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