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傷ついたことも知らずに

LINE電話ごしの画面で「○ちゃん、お顔まんまるだね〜」と嬉しそうに言う両親に、悪意があるわけではないことはわかっていた。ただただ孫が可愛いだけだと。

わたしが小さな頃の写真を見ても、よく同じことを言っていたから、両親にとってはまんまるな顔が愛らしくて仕方ない、ということなのだろう。

それでも、子どもとはいえ(むしろ、子どもだからこそ)体のことや外見のことを本人の前で好きなように言わせておくのはわたしにとっては”not acceptable”(受け入れられない)なことだったので、何度目かのときにこう言った。

「あのさ、まんまるとか言うのやめてよー」

嬉しそうに爆笑する両親。

「えー、だって可愛いんだもん。じゃあ何て言えばいいの?」

「可愛い可愛い、だよね」

我が子のほっぺに触れて言いながら、こういうときの笑いって残酷だよなぁ、と思う。強者が弱者に向ける、無自覚で無邪気な暴力。

「可愛いくて言ってるんだよ」

「そんなの子どもはわかんないでしょ。体のことなんだから、言うのやめて」

そして普段通りに話して、お互い笑顔で電話を切ったあと、洗面所で一人で歯を磨いていたら急に涙がこみあげてきた。涙がこぼれてこぼれて、最後はしゃくりあげて泣いた。

両親に言われて飲み込んできたことが、次々と脳裏に浮かんでは消える。みかちゃんは背が高いからモデルになれるね、と他の大人に言われた前で「でもこの子は顔が大きいから」と言われたこと。思春期で太ったり体つきが変わったことを、まるでよくないことのようなニュアンスで言われたこと。あるいは、笑いながら、言われたこと。

幼ければ幼いほど、それで傷ついたなんて思っていなかった。だって自分の価値判断の基準がまだないんだもの、「そうなんだ」とインストールするしかない。長じてさえ、親のそんな言動に反発して闘うタイプではなかったわたしは、自分がこんなに傷ついていたことさえ知らなかった。

今のいままで。

−こんなに泣いてるところ、子どもに見せても大丈夫だろうか。

一瞬迷ったが、ままよ、と大泣きしたままリビングに向かい、びっくりしている夫と我が子を前に、母にもう1度電話する。

驚いたのは、電話の向こうの母も同じだ。つい先ほど笑顔でスマホ越しに別れた娘が、今度は言葉も出ないくらい泣きながら電話してきたのだから。

「さっき、○ちゃんに言ったようなこと、体のこと、言われて嫌だったから、言わないで」

やっとのことで絞り出すように言ってまた号泣するわたしに、すわ何事かと動揺していた母が、少し涙声になって言う。

「そうか、そうだったんだね。ごめんね」

−○ちゃんが最近、みかの小さい頃にそっくりでね。可愛くて。


−親って勝手にね、ぜーんぶ愛情がベースにあった上で言ってるの。でもそんなの、子どもはわからないよね。みかは傷ついてたんだね、ごめんね。

わかってるよ、とわたしも返す。親になったらそんなことわかる。

「おかあさん、若くて無知だったなって、いまよく思い返すんだ。きっと自分のストレスが、△△(わたしの姉)やみかに向かってたと思うし。申し訳ないことしたな、って」

涙声で話す母の声を昔のわたしが聞いたら、胸が潰れていただろう。けれど、昔よりは上手に境界線をひけるようになったわたしは、ここから先は母の問題だ、わたしが責任を追うことではない、と揺れながらも自分の真ん中で立っていることができた。

泣いて言いたいことを言った後は満足して、少し話をしてまたね、と電話を切る。自分にとって”not acceptable”なことをうやむやにせず、コミュニケートできた自分は少しは成長したのだろうか。

心配して次から次へとタオルを持ってきてくれていた子どもに、ごめんね、びっくりしちゃった?○ちゃんのせいじゃないんだよ、ママも時々悲しくて泣くことがあるの、大丈夫だからね、と言って抱きしめる。

−親は一生、親なんだ。そして子どもは巣立ってもなお、こうして問題を突きつけてくる。

自分と子どもの関係性の未来を思うと、気が遠くなる思いもするけれど、それはそれで嬉しいと思ってしまうのも、親という愛情深い愚かな生き物が、なせる技なのだろう。

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#親子 #子育て #育児  


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