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月曜日の朝、オークランドで

母業を始めてちょうど11ヶ月。久しぶりのひとり旅でニュージーランドにやって来た。子どもはこの間、夫と、夫の母と一緒に過ごしている。

突然決めた(飛行機を取ったのは、出発の日まで3週間を切っていた日)この旅、本当はとくに理由もなくて「ただ、なんとなく」のinspirationからだった。ものすごく曖昧で自分にしかわからない、小さな心の声。

逆に、行かない理由ならたくさんある。それも明確に。「子どももいるし無理だよね、やめとこう」の方向に自分を持っていくのはとても簡単で、わたしはそれが嫌だったのだ。誰かが掲げる理想的な「いい母親」ではないかもしれないけれど、「ハッピーな母親」でありたくて、それには自分にとって大切なことを大切にし続けるしかないと思っているから。そして心の声を無視すると少しずつ少しずつ不満が溜まっていつか変なかたちで爆発する-誰かに嫉妬したりうらみを募らせたり、自分が病気になったり-ことも知っていたから。

まぁ、こんなふうに思っていたって「子どもが寂しい思いをするのは嫌だ」「ママに置いていかれたと思ってトラウマになったらどうしよう」「早く会いたい」と子どものことが常にどこか頭のなかにある。こうしている瞬間も。出産から11ヶ月、こんなにも自分が母になったのだと実感したことはなかった。

そしてもう37歳にもなってバカバカしいと自分でも思うのだけど、何か「(いわゆる)普通とは違う」ことをしようとするとき、わたしは「家族はなんて言うかな」と反射的に考えてしまう。ここで言う「家族」とは、わたしのoriginal family、父、母、姉のこと。今回も自分のパートナー(わたしのことをよーく知っているので何を言っても今さら驚かない)や留守中に来てほしいと義理の母に頼むより、父や母や姉に何て言われるかと考えるほうが気が重かった。別に言わなくてもいいんだけど。別に何を言われても気にしなければいいんだけど。

結局、彼らには何も言わずに来たのだけど、毎日更新している「みてね」(家族間の写真共有アプリ)が更新されていないからわたしが家にいないのがバレバレ。で、父や母からLINE がきて、それもスルーしてしまった。何か水を差されるようなことを言われるのが嫌だったんだもの。

けれど今朝、こうしてカフェでボーッとしながら母に返信すると日本はまだ朝4時くらいなのにすぐに返信がくるではないか。そしてやりとりの流れで思うところを打ち明けていると母はこう書いてきた。「美香のことを理解したい、応援したい、これは一生ものです」と。

あぁ、わたしもここ数年で成長したように母も成長していたのだ。これがもう少し前だったら彼女はただただ心配してわたしを苛立たせただろう。いまだって母は心配していないわけではない。けれどわたしもいまではその心配を受けて心が乱されることなく「でも、これがわたしなんだもの」と自分の心の真ん中に立っていることができた。

「話せて安心した」ともう1度眠りに戻る彼女の返信を見て思う。わかっているのだ、本当はもう父も母も姉も、わたしが何をしても反対したり頭から否定するようなことなんて言わない。3日遅れで返信を送った父からも、どうせそのうち「オールブラックスのTシャツ買ってきて」とか何とか返ってくるんだろう(父は元ラガーマン)。姉に至ってはきっと次に会うまで会話にものぼらない。昔から「美香は自分勝手だ、いつもずるい」と責めてあんなにもわたしを苦しめていた彼女の言動も、1度本当に「もうこれで姉妹の縁が切れるかもしれない」と思うほどの衝突を経て、結果絆が強くなったいまはまったく違うものになった。そう、仲直りしたあとの初めての彼女の誕生日にお祝いのメールを送ったら、「自分らしく、楽しく生きようね!」と予想外の返信がきて大泣きしてしまったのだけど、それはまた別のお話。

結局は頭のなかで作りあげてきた「誰か」の幻像がわたしの行動を監視していて、勝手に自主規制しているだけなのだ。そして、本当の気持ちを打ち明けたり腹を割ってコミュニケーションをとることを避けているから、勝手に苦しくなっていく。だいぶ自由になってきたと思うわたしも、これは一生コツコツと取り組む課題なんだろうと思う。いつか目の前が晴れるように違う世界が見えたらいいな。

さて、月曜日の朝、カフェは出勤前にコーヒーを買うビジネスパーソンたちで慌ただしくなってきた。ハリー王子とメーガン妃の到着を喜ぶ新聞を読んだら、街へ出よう。旅は終わり、日常が始まる。

(FBの投稿を元にリライトしました)

#日記 #エッセイ #ひとり旅  

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