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行動力とは?─【浜田流】行動力の身につけ方─

「自分には行動力がない」
「あの人みたいな行動力が欲しい」

この記事を読んでいるあなたは、もしかしたら冒頭のような悩みを抱えているのかもしれない。

世の中では、行動力があるほうがいいとされている。それは、私も否定しない。行動力があったほうが、チャンスに恵まれやすいからだ。

けれど、あなたの思う行動力とは、どんなものだろうか?

私はよく、行動力があると言われる。自分でも、まあまあ行動力はあるほうだと自認している。

本記事では、私なりの「行動力とは何か」について考えをまとめてみた。あわせて、行動力を身につけるにはどうすればいいのかも紹介する。

「行動力」のイメージを言語化しよう

いろんな人と話をしていると、「行動力」に対して漠然としたイメージを持っていることが多いと感じる。

瞬発力、持久力、機動力、応用力……。

「行動力」という言葉に対して、他の言葉に置き換えられるものがあったり、ただただ何かしらアクションを起こし続けている人だったりをイメージしている人が多い。

何が正解で、何が間違いかといった話ではない。自分なりの「行動力」をきちんとイメージできていないと、自分にどんな行動力があるのかすら認識できないという話だ。

私は、物事を考えるときに言語化できないのは、認識できていないも同然。イメージも、言語化できてはじめて認識したといえるのだと考えている。

人によって言葉に対するイメージが異なるように、行動力にも種類がある。行動力を身に着けたいなら、まずはどんな行動力を自身が求めているのかを言語化するところから始めよう。

浜田の行動力は「石橋を修繕しながら渡る力」

私の行動力は、他人から見ると無鉄砲に見えるらしい。20歳頃から戦友であり、派遣仲間でもあった友人や夫は、私のことをよく「考えなし」という。

けれど、私は私なりに考えて行動している。ただ、私の慎重さは「石橋を渡る前に叩く」のとは違う。「石橋を渡りながら、叩いたり修繕したりを繰り返して歩を進めている」のだ。

石橋の上を歩きながら、壊れそうなところがあれば修繕して、渡れる状態にする。壊れないかどうかよりも、渡れるかどうかを気にしているのだ。渡れなければ、どうやって渡ろうかと思案して、思いついた方法を試してみる。

「渡れるものだ」と思って進んでいるわけではない。渡れないなら、渡れる方法を探す。それを渡りながら、考えている。それが他人から見れば、行動力があると評価されたり、無鉄砲や考えなしと評価されたりする。

行動力の有無はスピードの個人差を評価しただけ

圧倒的なスピード感を持って行動している人を見ると、圧倒されたり、すごいなと感心したりするだろう。けれど、行動力も見る人によって、その差は必ずしも一定の評価を下されるわけではない。

同じスピードで行動する人からすれば、それは圧倒的スピードでもなんでもない。その一方で、行動スピードがゆっくりした人からすれば、とんでもなく速く見える。

私がよく行動力があるとされるのは、周りが意図しない速さで動くから。瞬発力が強いのだ。いわゆるスピードダッシュというやつ。

ところどころで力を抜きつつ、その都度スピードダッシュを繰り返しているから、私の休息を見ていない人からすれば「いつでも動いている」人となる。

行動力と慎重さは相反しない

まるで正反対の性質を持つものと思われがちだが、行動するときには慎重さも必要だ。誰だって痛い思いはしたくない。だから、人間には防衛本能が備わっている。

傷つけば痛い。それはどんな人も同じだ。そこは、有名人も一般人も経営者も平社員もアルバイトも皆いっしょ。もしもこの痛みがなければ、人は死ぬ。

痛みを感じることで、人は怪我をしないように、病気が悪化しないように気をつけることができる。痛みがなければ、知らぬ間に致命傷を負うし、病気が悪化して手遅れになる。

痛みを避けるのは本能なのだ。そして、それは心にもいえる。慎重さは、痛みを避けるための防衛本能の表れだ。だから、慎重さを否定する必要なんて全くない。

むしろ、否定することは正しくない行ないだ。先ほど、私の行動力について紐解いたが、石橋を修繕するのだって慎重さの一つだ。

たくさん石橋を叩いてしまう人に、慎重さがあるといえるのは周知のとおり。行動力がないわけではない。慎重さという行動力を先に発揮しているだけに過ぎない。

石橋を叩きすぎてしまって前に進めないなら、瞬発力を身につけることだ。瞬発力は、状況判断能力と繋がっている。瞬間的に、石橋の状態を「渡れるか?渡れないか?」と判断する力を必要とするからだ。

状況判断能力は、どれだけたくさんの痛みを経験してきたか。かすり傷でも、その傷がどうやってついたのか。どうすればつかなかったのか。これらを都度考えることで、知見が蓄積される。

経験を繰り返すことで、思考するスピードは早くなる。瞬間的に状況を判断できるのも、蓄えに蓄えられた経験があるからこそ。慎重過ぎてしまうのは、経験が少ないから。

このくらいなら大丈夫だろうという判断がつかないだけなのだ。失敗を怖がるのも、雑に言ってしまえば同じだ。

人はそれぞれ自分なりの行動力を持っている

行動力のある人を見ると、「自分もあんなふうになりたい」と思う人は少なくないだろう。けれど、その人はあなたじゃない。

経験してきた事柄も違えば、思考するスピードも違う。思考するプロセスも全く異なる。人と比べるのではなく、自分自身の持っている力を磨く。

行動力のあるなしなど、他人の評価でしかないのだ。しかも、その評価は見る人によって変わる。定量的なものではない。

あなたが求める行動力を仮に得たとして、あなたは本当にその人と同じスピード感と強さで行動できるだろうか?

ただ行動力が欲しいだけならば、まずは自分の望む行動力とはどんなものなのか。その輪郭を捉えるところから始めてみよう。

誰にだって行動力はあるものだ。他人の評価に晒され続けてきたことで、人は自分の本来持つ能力を忘れてしまう。認知しようとしなくなる。

自我が芽生えた子供が、あれもやりたい、これもやりたいと興味のあるものに素直に向かっていく。行動力とは、本来そういうものなのだと思う。

突き動かされるような衝動があれば、誰だってスタートダッシュしてしまう。目的だけをただ見据えて動き出してしまうだろう。行動力がない人は、もしかしたら衝動に対する感受性が弱くなっているのかもしれない。

あなたが最近、心を強く揺さぶられたのは何に対してだろうか?

感受性が弱まった人は、まずはそこから見つめ直してみてもいいかもしれない。自分なりの「行動力」を見つけてみると、きっとあなたの世界は変わるだろう。

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