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離島移住前の回顧 1

※ヤギ出てきません

 離島暮らしが2年程経ち、離島を旅立つ事をしばしば考えるようになりました。 

 住めば都といいいますね。どこでもそうだと思いますが、都な感じ、スラムな感じ両方あるのではないでしょうか?どこにスポットライトを当てて過ごすかだよ〜なんて言い聞かせていられない程に、頻繁に旅立ちが頭をよぎります。 

 耐える、我慢する。美徳のように語られるこれらの感覚、昔は自分にそれなりに同化し馴染んでたと思います。けれど、断捨離をし、自分の感覚に正直になろうと努める程に、排除すべきものとしてアレルギー反応が起きます。これは私のものでは無い!と抵抗する力だついたのだと思います。 

 ならば、そもそもどういういきさつで離島移住暮らしをする事になったのでしょう。 

 離島に移住する一年程前から、恐らく軽いノイローゼになってました。お風呂に入っていても仕事の不平不満ばかりぐるぐる渦巻いてリラックスどころでは無く、それなのに1時間程の時が過ぎ去っていく。そんな入浴タイムを打開すべく、スマートフォンを持ち込んで動画を見て不平不満への焦点をずらし、リラックス気分に向けるようにしてました。今まで興味も無かった、海の中の生き物の動画、しかもあれこれ見るのでは無く、しっくりくる2本だけ見てました。その2本の内1つはマンタが優雅に遊泳する動画。もう1つは渡嘉敷島の海亀。これをひたすらリピートしながら湯船に浸かってました。 

 その半年後、上司が懇意にしているスピリチュアルカウンセラー的な方から『いい加減にバカンスを覚えなさい。あなたは病気になるところまでやってしまう。2ヶ月くらい休みをとって旅行にでも行ってきても良いのでは。休んだ方が休まないより100倍良くなります。これは真摯に受け止めてください。』という指示に近いアドバイス。

 そして友人、知人にこのような話があった事を伝え、続いて
『そんなの(休みをとって旅行なんて、時間的にお金的に、家庭事情的に)無理に決まってるじゃんね〜』
と私が言おうとするのを制されるように
「行ってきたらいいじゃん」
5人に話し、5人ともそのように私に伝えてくれました。
「行けってことだね、、」私を導く存在がそう伝えてきてくれてると感じました。 

 2ヶ月の休みは無理だとしても、リフレッシュ旅行ぐらいは検討してみましょうと思い、当時交流があった方に旅行をおねだりしてみたところ、「分かりました、調べておきます、長野方面、小布施気になってたんで。」と、何と無く聞き入れてくれました。 

 私は氏神様の神社の欅の大木様にハグして会話をした気になれる事があります、というより会話していると信じてます。その大木様が、
「そっち(長野)じゃないよ」
と伝えてくれたのです。 

ふと、毎晩の様にお風呂で見ていた海亀さんが頭をよぎりました。沖縄、、、? その当時読んでた本で、沖縄の恩納村でイルカと共に泳ぐ記述がありました。それがどうにも気になったのです。 

沖縄の離島に行く事を決めました。そうすると神社の大木様が、「そう、それで合ってる」と伝えてきてくれました。お金を貸してくれる人も現れてくれました。「背中を押した以上は、」とお選別をくれる友人も。休みも段取りできました。 

最後の引っかかりは、うつ病の母を父1人に任せて行く事です。最悪の事態も頭をよぎりましたが、母の友人でもある仕事仲間の方が、
「お母さんは強い人だから大丈夫だと思います。」と。
母自身、
「旅行に行く事で何かが変わるとアンタが言うなら行っておいでよ。」と。  

 3週間何もかも傍において沖縄へ旅に出る。そう決めた途端にスルスルするっと何もかもが整いました。自分でない存在が道を開いたように。

「休めばいいんでしょ、休めば!」というノリで、海亀に出会えるという沖縄の離島を目指す事になったのです。

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