Mika Fujii

40歳でターニングポイントを迎える。ふるさと愛知から人口1,000人未満の離島へ移住。田舎生活や目に見えないモノを大切にする文化に触れる事を期待して。仕事は全く畑違いの大工の手元。しかし、本人が今最も大切にしているライフワークはヤギとの共同生活。この離島生活体験のシェアが目的。

Mika Fujii

40歳でターニングポイントを迎える。ふるさと愛知から人口1,000人未満の離島へ移住。田舎生活や目に見えないモノを大切にする文化に触れる事を期待して。仕事は全く畑違いの大工の手元。しかし、本人が今最も大切にしているライフワークはヤギとの共同生活。この離島生活体験のシェアが目的。

最近の記事

ヤギのお迎え

 最後の離島入り。先ずは2週間離れていたミー子とヤー子に会いに行きました。ミー子は目をタレーンとさせてじっと見つめてくれました。 『来てくれたんだね。』 そう伝えてくれてる気がしました。 我那覇さん(仮名)に聞くところ、預かっている間、ヤー子は随分食が細くなってしまったとか。大好きな桑の葉ですらまともに食べなかったそうです。 飼育環境がいきなり変わり、今まで共に過ごした飼い主は姿を現さず、自分達の運命がどうなるのか気が気じゃなかったでしょう。計画を持っている私ですらヤギと

    • 親、巻き込まれるも楽しむ

       ミー子とヤー子との2週間のお別れ期間に愛知でする事は大きく2つ。  一つ目は車の購入。ハイルーフ軽ワゴンをゲットします。有り余る程の資金があるわけではないので、中古屋さんをめぐるも、なかなか出会えません。後で知ったのですが、商用車は基本乗り潰すので良い状態の中古品はなかなか出ず、あったとしても軽ワゴンで100万円前後するようです。父がお付き合いのあるディーラー担当者さんと合わせてくれました。会社の全販売店の取扱車を見られるデーターネットワークがあり、そこから他店舗が保有し

      • 背中を押してくれた存在

         私の両親は自由にやりたいようにやらせてくれるタイプです。しかしお互いの個性が相手の個性を潰しあってしまうような時期もあったのかもしれません。  父は根本自分大好き、けれど周りの目もすごく気にします。周りの目は関係なく綺麗好きで、洗濯物たたませたらピシッと四つ角を作るようなきちっとした人、お役所の手続きもサクサクこなせます。それでいて茶目っ気もあり、苦境に立たされても相手の為の決断もできる優しさも持ち合わせてます。  鬱病の回復後に分かったのですが、母は途方もなく自由人で

        • 急な離島卒業

           棟梁が仕事でいる離島は自分の実家がある故郷ですが、生活拠点の自宅は本島あります。離島では手に入らない資材を仕入れたり、離島で出た産業廃棄物を受け入れ先企業に持ち込んだり、息抜きのパチンコをしたりなどで、1週間ほど離島を不在にする事があります。という事は私にとっては同居人不在で、自分の好きなモノを好きな時に作って食べ、泳ぎたい時に海で泳ぎ、好きなだけヤギに触れ合い、ヤギの飼育環境を整え、夕暮れ時に港でラッシュアワーを眺めながらお酒とおつまみをいただく、、という自分のやりたい事

          ヤギの移送計画

           検討中のプロジェクト。ヤギ2頭を連れて離島を卒業し、ふるさと愛知に帰る。  ペット移送サービスからも見積りが取れました。移送にかかる費用30万円。もちろん、ヤギの飼育環境作り費用はまた別です。何とこの少し前のタイミングで、両親が私の子ども時代から積み立ててくれていたお年玉貯金を存続の一つのタイミングという事で私名義の定期預金通帳を受け渡されました。そこから捻出できます。今までもそうなのですが、私は大方自転車操業なのですが、何故か必要な時に必要なお金が必ずやってきてくれます

          ヤギの移送計画

          飼いヤギの選択

           私はこの沖縄離島を出たい、ヤギはどうする?という選択肢を模索してました。 愛知に一緒に連れて帰る 近くの無人島に放す 最初に頭に浮かんだ2択。ヤギを食べる文化がある沖縄。そして私が移住した離島には野生のヤギを捕まえて捌いて食べるご家庭もあると聞き及んでました。そこに善悪は無いし、私とてミー子とヤー子と暮らす前は、ヤギ汁、ヤギ刺身をいただく機会もありました。けれど、懐いてくれたこの2頭を食べられる確率がかなり高い土地に置いていくことに、自分に対する凄まじい罪悪感を覚えまし

          飼いヤギの選択

          引き寄せた離島生活

           人生は願った通りになるとか、ならないとか諸説あるのでしょう。私の経験とスピリチュアルの大先輩方が語られる観点から表現すると、願いと自分の感情が相まって繰り広げられるのが現実なのだと、年を経るごとに強く感じます。  離島移住どころか沖縄旅行すら頭に無かった頃、私の記憶している発言。 『物質よりも目に見えない事を大切にする文化圏に行きたい。ネパールとか気になる。』 当時の仕事関係者に語っていた事を自分でもよく覚えています。あの頃はダライラマさんとか気になってました。漠然と

          引き寄せた離島生活

          離島移住前の回顧6

           6月23日、沖縄の慰霊祭が毎年必ず執り行われるその日、私は3週間の旅を終えて、実家愛知に戻りました。母は生きててくれました。  振り替えってみれば、沖縄旅行から戻って1年程で離島移住へと突入しました。  この1年間で母は見事に鬱から脱出。鬱という病気はつくづく、無自覚に自分でない何者かになろうとする、悲しいかなズレた努力の蓄積が、ある日溢れ出てしまった状況なのだと、私はそう確信しています。立ち直った母との対話で、強烈に自分を否定して家庭ではいわゆる『良い母』になろうとし

          離島移住前の回顧6

          離島移住前の回顧 5

           小料理屋で会ったおじちゃん、後の私の上司 棟梁は、何かと世話を焼いてくれました。 お昼ご飯は食べてるか 夕方はバーベキューするからおいで 船釣りに行くからおいで かき氷ご馳走するよ などなど、、 その中でも、私に刺激や気づきを与えてくれたイベントが2つ。 1つは、平和の塔。 私が訪れた離島は、第二次世界大戦時にアメリカ軍が初上陸し、それに伴い島民の集団自決が起こってしまった悲惨な歴史があります。自決だけでなく、戦時中に命を落とした方の名前が刻まれた石碑があります。 お

          離島移住前の回顧 5

          離島移住前の回顧 4

           韓国人の女性と友達になりました。宿泊しているゲストハウスの2段ベッドで上下。  そんな彼女 ソミン(仮名)さんと、島の昔ながらのカウンター小料理屋に行きました。彼女のオススメのお店との事で。ソミンはこのお店のヘビーリピーターで女将はもちろん、顔馴染みの客さんもいる様子。私はカウンターの端っこで本を読んでました。どんなに周りが一つになって盛り上がってても、お構い無しで自分の興味に没頭する瞬間があるのは昔から。女将のご主人が執筆された雄犬が海を泳いで毎日雌犬に会いに行ったとい

          離島移住前の回顧 4

          思うことアレコレ『先ずは自分の幸せに責任を持つであり、それで完結だ』

           私の幸せライフの大役を担ってくれているヤギ2頭ミー子とヤー子。担ってくれているは私側の表現で、今の状況をミー子とヤー子がどう捉えているかは、どこまでいっても2頭の世界。  しんどくなってきた。ミー子とヤー子にとっての幸せとは、と哲学するのが。しかも別にヤギ2頭から『ちゃんと考えてよねっ』て頼まれたわけでもない。完全な独り相撲。   私が勝手にしんどくなってるこの感じは、おそらくヤギの幸せ感をアップさせるものではない。  今、本当に本当に幸せで、ミー子、ヤー子と一緒に生

          思うことアレコレ『先ずは自分の幸せに責任を持つであり、それで完結だ』

          思うことアレコレ『ミー子とヤー子にしてあげられる事』

           自分が幸せかどうかは、きっと当人の感じ方の世界で、どこまでいっても他者が介入できない。嬉しそうにしていると、きっと幸せなんだろうと憶測はできても当人が本当のところどう感じているかは分からない。特に人間みたいに思考と感情が複雑に絡まり合ってる生き物は。はたまた当人の心は喜んでいても魂が腑に落ちているとも限らない。  だけれど、動物、私が今関わり観察できるヤギ2頭ミー子とヤー子は、人間よりはシンプルで分かりやすい気がする。この2頭に思考が存在しないとは言い切れない。けれど私が

          思うことアレコレ『ミー子とヤー子にしてあげられる事』

          離島移住前の回顧 3

           私がバカンス旅行で訪れた場所は、幾つもの離島が近くに点在する諸島です。という事も、実は後から知りました。これから旅で向かおうとしている目的地の地図を眺める事もなく、何となく聞いた事ある島をまずは目指して行ってみる、近視眼的な出発でした。  ダイビング研修を終えた頃、前日までの予約で700円支払えば離島間を往復できる船の交通手段がある事を知りました。その近隣離島の名前の響きが、何となく私は心地悪い感じがしていて、沖縄中の数々の離島の内の1つのその島が、どこかにある事を知って

          離島移住前の回顧 3

          離島移住前の回顧 2

          ※ヤギでてきません  1人旅は学生時代に結構させてもらえました。 スーツケースやボストンバッグ持って、電車乗って、1時間半前に空港入り。余裕持って、ゆったりとした時間、広々とした空間、何となくワクワクしている空気が満ちています。その時空間が好きでした。  最寄駅から空港に向かう電車の中で、 『久々だなぁ、ボーッと車窓の風景を眺められるの。』  いつも何かを考えてた気がします。未来の計画、過去の出来事のリプレイ。この計画は正しいか、私がした仕事は正しかったか?過去や未来を

          離島移住前の回顧 2

          離島移住前の回顧 1

          ※ヤギ出てきません  離島暮らしが2年程経ち、離島を旅立つ事をしばしば考えるようになりました。   住めば都といいいますね。どこでもそうだと思いますが、都な感じ、スラムな感じ両方あるのではないでしょうか?どこにスポットライトを当てて過ごすかだよ〜なんて言い聞かせていられない程に、頻繁に旅立ちが頭をよぎります。   耐える、我慢する。美徳のように語られるこれらの感覚、昔は自分にそれなりに同化し馴染んでたと思います。けれど、断捨離をし、自分の感覚に正直になろうと努める程に、

          離島移住前の回顧 1

          許すのは、自分自身

           アルミが産まれて1ヶ月半。ヤー子のお乳を飲みつつも、いっちょ前に木の葉を食べ、オシッコもウンコもするようになりました。ウンコも子やぎサイズ。小豆の粒みたい。でも、ウンコである事に変わりないです。  アルミだけはリードをしていませんでした。ある程度自由行動をとっても、ほどほどの距離で必ず母のヤー子のところに帰ってきます。ヤー子はわが家に来た頃に比べると、だいぶ気持ちが安定してきたのか、外へスタスタ行ってしまう事が。それ自体は喜ばしいのだけれど、よその生垣を食べるのはギリギリ

          許すのは、自分自身