許すのは、自分自身
アルミが産まれて1ヶ月半。ヤー子のお乳を飲みつつも、いっちょ前に木の葉を食べ、オシッコもウンコもするようになりました。ウンコも子やぎサイズ。小豆の粒みたい。でも、ウンコである事に変わりないです。
アルミだけはリードをしていませんでした。ある程度自由行動をとっても、ほどほどの距離で必ず母のヤー子のところに帰ってきます。ヤー子はわが家に来た頃に比べると、だいぶ気持ちが安定してきたのか、外へスタスタ行ってしまう事が。それ自体は喜ばしいのだけれど、よその生垣を食べるのはギリギリ許されても、ウンコを庭にしてしまうのはさすがに離島といえどもマズイ。なので出産前後は自由にしてたヤー子もリードで繋いでます。自由人ならず自由ヤギ ミー子 は論外。常にリードです。
アルミの自由行動の範囲が日に日にひろが
っていきます。我が家で唯一の自由ヤギとなっている アルミ だけは家にも侵入。台所、棟梁のお部屋、私のお部屋ひと通り物色。棟梁はアルミに激甘だから
「可愛いーさー。」
と言ってさせるがままです。ミー子が拗ねちゃうぞー。
我が家の中ならまだしも、堺の塀を登って超えてお隣の生垣を食べたり。ヤー子は『戻って来い!』としばしば鳴いてます。
「チビ(アルミ)をクビろうか(繋ごうか)。」
棟梁からの提案。
私はできる限りの自由を、アルミだけでなくミー子にもヤー子にも提供したい。いや、自由とは提供されるモノではなく、本来既に備わっているはずだけれど、様々な理由で制限がかかってしまうのがこの地球という惑星?
人里で住まうヤギにとっては、人里に沿った在り方が求められてしまう。最低限よそでウンコをしない、大切に育てている植物を食べさせない。となると、やっぱりリードで繋ぐになってしまう。柵を作る事は度々打診したのですが、イマイチ棟梁は首を縦にふりません。仕方ない、だってここは借り屋です。でも離島なら作っても良さそう、な、雰囲気を私は感じるのですが、、、
アルミに首輪をつけ、リードを繋ぎました。アルミを抱いて保定するのは私の役割なのだけど、アルミは抵抗する事も無く、じっと委ねるように抱かれています。それが私の中の愛おしさと自由を奪う罪悪感の入り混じった感情を刺激します。
早速母ヤギのヤー子とアルミのリードが絡まります。少しでも絡まりを無くすために、アルミのリードの先の結ぶ位置を高くしてねじれの位置にしてみたり。
翌朝やはりヤー子とアルミのリードは絡まっているのでその絡まりを解くとこから飼育スタート。そのリードを解いている時、
「オロオロオロ〜〜〜」
と、いつになく悲しげな鳴き方をするミー子。どうしたんだろ、、
と、さして気にも留めずにいつつ、どこかに引っかかっている感じがしていました。
私の住む離島は車で一周して回っても、せいぜい20分程度。そのせいか、万全の準備で仕事現場に臨む事に対してつい甘くなり、取りに帰ればいいや、と道具、機械置き場も兼ねている自宅に戻る事は、多い日だと1日に4、5回あります。
離島生活初期の頃は「何という効率の悪さ!」とイライラしていた私も、離島の狭さに慣れ、しかも帰る度にヤギーズを見て束の間の癒しを得られるので、
「取りに行こうか?」と申し出るまで様変わり。
港で船台の修繕補強溶接工事をしていて、案の定足りない道具がでてきました。例の如く帰宅。
すると不思議な光景。リードで繋がれているヤー子が塀の向こう側にいます。過去にヤー子が繋がれたまま塀の向こう側に出たことは一度もありません。
嫌な予感。
塀の外に駆けつけます。
アルミが首を吊ってしまっている。リードをつけたまま塀を飛び越え宙吊り。駆け寄って抱き上げます。まだ温かい。母ヤギヤー子は何が起こっているのか分からず、娘のアルミの側にいるしかなかったのでしょう。アルミをリードから外しても、目は開いたまま、舌をだらんと出しています。それでも、まだ温かいんだから、、
「アーちゃんが死んじゃう!」
という電話に、3分も経たない内に棟梁も家に戻って来てくれました。
棟梁は心臓マッサージを施しました。けれど、アルミは目を開き、舌を出したまま。
「ミー助(私の呼び名)、残念だけど、、、」
そわなん!信じられない、嫌だよ。まだ温かいよ。
「だから、柵を早く作ろうってあれだけ言ったのに!」
という訴えも虚しいだけ。
昨日、アルミのリードを結ぶ位置を変えず低いままにしておけば、アルミは宙吊りになる事なく地に足が着けられて一命を取り留めたかもしれない、という時間の巻き戻しと自責をしたところで現実は変わらない。
人生で、初めて、愛おしい存在を突然失う経験をしました。
ヤー子は私の娘を何処へ連れて行ったんだ!と言わんばかりにずっとずっと泣き喚いてます。そして、娘の為のミルクが溜まり乳房が張る痛みも訴えてます。ミルクを出してあげないと母ヤギヤー子も病気になってしまうと、棟梁が島のヤギに詳しい方に聞いてくれました。悲しいかな人生で初めての搾乳。
「ごめんね、ヤーちゃん、本当にごめん。」
1週間は何をしていても泣けてきてしまいました。仕事への移動時間、仕事休み、食事を終えた後の一息つく時間。
けれど、自分が意図してした事があります。
自分を許す
です。
アルミは私や棟梁が自分やお互いを責めて苦しむのを望んでいません。あの時、違う選択をしていれば、、もっと努力を重ねていれば、、と悔やんでも、その時その時ベストは尽くしました。もっとやれたかもは今になって言える事です。その時の自分が良い塩梅を選択したのです。自分を許す、つい責めてしまう自分を許す、責めないでおこうと思っても責めてしまう自分を許す。とにかくあらゆる自分を許す。
何処かで子どもの泣く声が聞こえると、ヤー子が
「ヴェー!ヴェー!」
と精一杯の声を張り上げます。
『母はここにいる、戻っておいで!』
と言わんばかりに。ヤー子はアルミが死んだと受け止めてません。何処かに連れて行かれてしまったと考えているのでしょう。
そんな光景を目の当たりにして、またズキズキと悲しみや罪悪感が刺激されます。その度に自分を許す、そしてその感情を感謝して手放す。
思いの外早く立ち直れました。島の先輩の女性にも、
「よく普通でいられるね〜私なら相当凹むと思う。」
ごもっとも。けれど伝えてみました。
「自分を責めず、許す努力しました。そしたら自分でも驚くほど早く立ち直れました。」
返って来た表情は、
「?」
でした。それもそのはず、私も理屈では説明がつかない、けれど感覚では腑に落ちているのです。
ミーヤー牧場はどことなく寂しい冬を過ごしました。
離島に山桃や野いちごが実る春先頃、ふと、直感が降りてきました。
それぞれのテーマの為に起こった事なのかもしれない。
私のテーマは『許す、そして、許すのはまず自分自身』
アルミのテーマは、『愛と自由』
アルミは愛し愛されました。母ヤー子、同居ヤギミー子、私、棟梁、ご近所さんにも。そして自由を堪能しました。子やぎ故に許される時間の中で。アルミのテーマは愛と自由だったから、リードで繋がれたり、柵で囲われる時間は不必要。味わいたい経験をして次のテーマの旅路へと向かったのだと、私にはストンと腑に落ちました。
私の母は言いました、
「可愛い、ひ孫だった」