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正しいことをする人

私の祖父は、英語の教師だった。だから定年後は自宅にいた。いつも祖父、祖母の家に行く時、祖母には感じられない緊張感が祖父にはあった。

ビクビクと、挨拶だけした。必ず言われる言葉はたった一言だけ。
「美加か。来たのか。」

祖父は朝起きて、必ずかすりの着物をキチッと着て、祖母の作った朝食を定位置で食べる。昭和の高度成長期、まだパンというものが珍しかった時代に、トーストと、バターとサラダに紅茶。ゆっくりと噛みしめるように朝食を、定時に、定位置で食べていた。

その後、二階の自分の書斎に行き、パイロットの万年筆で、横文字のノートにビッチリと英語で長い文章を書いていた。だからそこには何が書いてあったのか、幼かった私には理解が出来なかった。

そのあと、午後になり、今度はスーツにネクタイを締めて帽子をかぶり、お散歩へ出かける。そのような格好で毎日、お散歩へ出かけるのだから、当時で身長が180㎝近くあった祖父は、かなり目立つ存在だっただろう。

一度だけ、祖父と出かけたことがある。上野動物園に連れて行ってもらった。しかし会話があったかと聞かれれば、ほとんどなかったように記憶している。でも帰りに、動物のぬいぐるみを買ってもらった。会話ができないぐらい、私にとっては苦手な、怖い存在だった。本音を言えば、一緒にいる時間が、たまらなく苦痛だった。

当時、高校の英語の教師で、寸分の乱れもなく、定年後も時間通りに毎日を過ごした、祖父。立派な生き方だったと思うし、「恩師」と呼んでくれた生徒さんも沢山いた。

でも私は祖父に対しては緊張感しか持てなかった。

もう少し、甘えてみたかったな。近所にいたお爺ちゃんのように、膝に乗っかったりして。

ねえ、お爺ちゃん、もっと教えてもらいたいことが沢山あったのに、話もマトモにできなくて、寂しかったよ。でも今なら沢山の話ができたかもしれないね。




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