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そこに「友情」はあるのか? #16

こんにちは!
今日の調子はどう?

今日6月12日の誕生花は、
「ライラック」

甘い香りのお花ですよね。紫ピンクの色があったり素敵な色。


「ライラック」の花言葉と由来

「ライラック」の花言葉は、
「友情」
「思い出」

「謙虚」
「純潔」
など。

由来は、
【友情】【思い出】
ライラックのたくさんの花が集まって咲く姿が、たくさんの思い出や友情を連想させるため。

【謙虚】【純潔】
ライラックの主張しすぎない小さな花の、儚げなイメージから。

英語での花言葉は

PRIDE(誇り)・BEAUTY(美)
西洋で紫色は高貴な色と言われているため、一般的な花の色が紫のライラックの花言葉になったとされている。


「友情」について

今日は、「ライラック」の花言葉から、
「友情」について。

まずは辞書に聞いてみる。

ゆう‐じょう〔イウジヤウ〕【友情】の解説

友達の間の情愛友人としてのよしみ。「—が芽生える」「—に厚い」

[補説]書名別項。→友情

goo辞書より引用

じょう‐あい〔ジヤウ‐〕【情愛】の解説

いつくしみ愛する気持ち。深く愛する心。なさけ。愛情。「夫婦の—」

goo辞書より引用

個人的なことだけど

友情と言えば、
最近、友情について考えさせられることがあった。

地元の高校時代から仲の良い友達がいた。大人にって、同じ高校の仲間が集まっていて今に至っている。
1人は地元にいて、私を含めて4人は東京にいる。

ただ、数年前から、私はその仲間たちと距離を置いていた。結婚したこと、自分のことで精いっぱいだったことなど理由があったが、一番の理由は、会話についていけなかった。

会って話す分にはいいが、LINEのグループでの会話になるととても苦手になる。女ばかりのグループだから、他愛もない会話が始まり、延々と続くのだが、いつも見ているわけでもないから、途中からだと会話に入りづらい。
しかも、仕事もあるし、家に帰れば家事をしなければならない。そんな会話に付き合っていれなかった。
次第にトークを開くのも億劫になっていった。

コロナ前頃から、一番の仲良しだった子が、個別に連絡をくれたので、会うようになり、東京に住んでいる友達とも一緒に会うようになった。

数年前、その友達が病気で亡くなった。
亡くなる直前に会った友人は私だった。体中が痛いのに、我慢して会ってくれた。横浜のインターコンチネンタルのビュッフェに行きたいというので、車で一緒に行った。ご飯も少し食べていた。
家まで送っていった後に、帰りの車で泣いた。

他の友達はその状況を知っているんだろうか、言った方がいいんだろうか、色々悩んだけど、言葉にするのが嫌だった。
2週間後、休日に仲間のうちの一人からの電話が鳴った。嫌な予感しかしない。
やっぱり・・・。慌てて車で友達のもとに向かった。

お通夜、お葬式、四十九日、一周忌、三回忌、全てに出席した。
もちろん、仲間とも連絡を取り合うようになった。

その間、思うところがたくさんあった。
その時その時、まあいいや、と思っていながら付き合ってきた。

でも、少し前、LINEグループでやり取りしているときに、これはひどいな、と思うことがあった。それってどうなの?ということは返したけど、肝心な人はそれに対して何も返してこなかった。
自分だけがそう思うのか、とちょうどその時にスタッフがいたので、見てもらった。
「どうなの?これ。」
「いや、これ私なら退出していますよ。」

この時のことだけなら、まぁいいや、となるけど、この4年間の積み重ねがあった。

この時以来、仲間たちとまた距離を置いている。


親しき中にも礼儀あり

私がこの友達たちに思ったことは、
何十年来の友達であろうと、
相手への思いやりを持つこと、
相手が不快に思うだろうことをしない、
与えられるのが当たり前ではない、
友達だからと言って甘えすぎない、

ということ。

LINEで3人で盛り上がっている分には文句ない。その時の話題は、ある人(私も知っている人)からのプレゼントをもらって一つ余っている、それは誰のものか、ということだったが、私のものということではない、というより私の存在そのものがないように話題が進んでいるのだ。
私がこれを読んでどう思うかなんか考えていない。それが不快すぎた。
思いやりも何もあったものではない。

してもらうのは当然だけど、自分がするのは嫌、というのもあった。当然とは思っていないとは思うが、さすがにTAKEとGIVEの割合の乖離が多くなりすぎた。

基本的に与えられるより与える方を多くしたいと思っている。ただそれが当たり前になるのはどうかと思った。


ライフステージが違う?価値観がちがう?


考え方が違うのは、ライフステージが違って価値観が違うせいなのかとも思った。

学生時代みたいにい常に一緒にいるわけでもないし、お互いの環境も全く違う。サラリーマンなのか、経営者側なのか、専業主婦なのか、置かれている環境によって、問題や悩み、楽しいこと、悲しいことなどのレベルが全然違う。だから話も合わないのかな、と。

事実、何年か前に旅行に行った際に、私と亡くなった友人は、企画に参加せず、お任せになっていた。参加しないことが間違いだった。
私が企画するものとは真反対のものだった。


琵琶湖への旅行だったが、
まず集合時間が遅い。東京と地元からの参加なので、京都駅集合だったが、これが12時頃。
一泊二日だよ。遅くないか?せめて始発で東京出て9時頃集合しないかな。

東京組は一緒に新幹線で、と言われたが、ちょうど京都の紅葉の見ごろだったので、私は前日の夜の夜行バスで行って、朝一から京都観光をしてから集合した。

車を借りて琵琶湖へ。お蕎麦屋さんでお昼食べて、琵琶湖半周。途中、神社に寄る。そして長浜にあるビジネスホテルへ。夕食はホテルのコース料理。地元の料理ではなく一般的なイタリアンのコース。
旅行に行ったら、地元の料理が食べたい人なのだ、私。美味しいお店探せばよかったと後悔。

次の日、朝早く出るわけでもなく、彦根城へ。ひこにゃん待ち。
お土産店へ行き、そしてタイムアップ。

京都へ戻り、新幹線で帰京したのでした。


私にとって、何が面白かったのか?友人と旅行することだけ?それだったら東京でもいいよね。旅行の楽しみを何一つ堪能していない。
その後、旅行には一切参加していない。
亡くなった友達も、ご主人や他の友人に愚痴っていたそうな。
行くのが嫌だと。

この時に、価値観が違うから、楽しみも違う。企画してくれたのはありがたいが、彼女の企画では行けないな、と思った。
そこは価値観の違いだった。

でも、本当に嫌だと思ったことは、価値観とか以前の問題だった。

誰に対しても思うことだった。
長い付き合いだから、他の人より少しくらいあっても許せる。だけど限界を超えると無理さ。限界点はほかの人より低いと思うよ。

仲間3人いて、3人とも同じようではない。でも、前に書いたLINEでのことがあって、誰一人個人的に連絡をしてきた人はいなかった。悲しかったね。
原因があって結果があるから、一人も連絡してこなかった原因は、きっと私にあるんだろう。
ただ、私は自分はこれまで、ずいぶん気を遣ってきたし、あ、お金もね。不愉快な点は、LINEにあまり参加しないことだったのかな。それ以外に不快なことはやっていない、はず。

色んな事考えても仕方ないので、しばらくなのか一生なのかわからないけど距離を置くことにした。

言えることは、ライフステージが違おうが、価値観が違おうが、人との付き合いで最低限気を付けることは、いくら仲の良い友達であろうと気を付けようよ、ということ。


そこに「友情」はあるのか?

今日は、愚痴になってしまったかな。

でも、こうやって書くと、冷静に客観的に自分と友達を観察できるので、自分がどう考えて行動したのかよくわかった。

書いたことは、ちょっとしたことで、どうでもいいことなのはわかっている。こんなことで怒らなくても、と思う方もたくさんいるだろうけど、それだけで腹を立てているわけではなく、この4年間にずっと溜めていたころが限界点を超えてしまったということ。

今日のライラックの花言葉、「友情」から少しずれた話になってしまったが、大切にしたい「友達」には「友情」があるのだから、その「友達」にたいしては、愛を持って接したいな。
「いつくしみ愛する気持ち」をもって接する、それが「友情」なのだからね。

自分がやられて嫌なことは人にはしない。
これは本当に続けていこうと思う。

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※誕生花、花言葉などには諸説あります。

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