そういう事だったのか…?

またnote が途切れてしまったけど、
まぁ、良いとしよう。

その分、最優先事項は、
進めることが出来たから…。

私はどうも、
2つの事を同時にやるのが、
苦手のようだ…。

*

記憶をする…という時、
「頭に叩き込む」という表現を
色んなところで教わって来たけれど…

実際、単語帳を1周してみて感じたのは、
「叩き込む」というよりも、

これは、
「結び付ける」という感覚に近いと思った。

大きな木に無数の葉や花が実る。

でも、その中心にあるのは、
太い1本の幹。

まずは幹…中心軸を学ぶ。

それから枝葉を生やす。
あるいは、育てる。

その枝先に、
おみくじを結んでも良い。
ハンモックをかけても良い。

花を愛でても、
実る果実を、食べてもいい。

けれど、

柱になる軸が細くて倒れてしまったら、
それだけ全体は揺らいでしまう…。

語学学習における幹は、何だろうって、
ずっと考えていた…。

やっぱり、
「聴覚」が要なのではないだろうか?

でもそれは、聴覚が必須と
考えているという意味ではない。

読んで話す、
話して書き取る。

耳と連動した動作を
例えば、楽譜と器楽演奏のように
目標とした場合の組み立てを前提とした、

単なる、私なりの考察。

もし、

黙読による理解が目標なら、
書くという練習方法も良いかもしれない。

でも、
書かずに読む、弾くためには、
書かずに読む、弾く練習や経験が、

必須なのだと思う。

それは例えば、車に乗って、
助手席から窓を眺めているだけでは、
運転が出来るようにならないのと、
似ているかもしれない。

自分で運転した道は、記憶に残る。

何かを「体感」すること…
これは、想像以上に大きな影響だろうと思う。

出来ないから、
出来るようになってからやろうと
遠ざけてしまったら、

いつまでたっても経験値が上がらない。

経験したことがないものは、
出来るようになるはずがない。

これが出来たら、これも出来る…

そう想像している仕組みそのものが、
勘違いや先入観という可能性も、

多分にあるのかもしれないと思った。

何も分からなくても、
飛び込んでみれば、

案外、カタチになることもある。

でも、その挑戦さえしなかったら、
先延ばしにした目標や夢は、

いつも、奥底に
しまい込んだままになってしまう。

そして時は流れて、
明日は今日より歳をとる。

その流れは変えられない。

今が、一番若くて、
一番可能性があって、

唯一、自分の意志で
物事を選択できる時間。

そう考えたら、
未知の世界に踏み入れ続けることが、

生きている事に思えてくる。

そして環境というのは、
自分でコントロール出来るものと、
出来ないものがあるにせよ、

影響が大きいもの。

時々、シャンプーを変えてみると、
突然、嗅覚が刺激されることがある。

それくらい、
慣れ親しんだ環境の影響は、
自分の意識が及ばないものも
あるのだろうと、思うようになった。

すぐには変えられないとしても、
「変えられない」を認識することは、

変化にも繋がる。

変えられないものと、
変えられるもの。

花を咲かせたり、収穫を夢見るより先に、
種から双葉を育てる段階もある。

何が足りないのか?
そして、何があるのか?

分析を試みる事で、
様々なバイアスに気付いてゆく。

部屋の内装より先に、
基礎工事や配管工事は大切であるように。

一歩進んで、新しい事を学ぶたび、
分析出来る精度が上がる。

今は、記憶の数そのものが
焦点ではない。

それより前の段階。

時は前に進み続けるけれど、
記憶の時計を巻き戻す。

既に出会っていたけれど、
気付けなかったもの、
取りこぼしてしまった知識。

補強工事の必要な思考パターン。

大丈夫、大丈夫。
確実に何かが、進んでる手応えはあるから。

何度途切れても、
またここから、がんばろう!


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