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変えようと思った時が変え時だよね(maybe)(後編)

こんばんは。ミサキです。

さっき前編をアップしたので、今度は後編を書きます。

前編では、「お金のない私たちにも展示の場所をお恵みください!」「創作活動頑張ってるので私の作品買ってください!」「お金のあんまりない学生諸君、きみたちにも買える美術作品があるぞ!」の精神(なんてざっくりした説明なんだ)でミジュツカの活動をしてきたよっていう話を書きました。その活動がなんだかしっくりこないんだよな~ってことも。

で、なんでうまくいかないのかなっていうと、お金が欲しいと言いつつ(言い方が汚いですが、材料費にせよ展示費にせよ梱包費にせよコンペ出品にせよ、いろいろとお金がかかっちゃうのが現実なので)、お金のある人に対して作品を売っているわけではないので、あんまり作者の足しにはなってないってこと。だし、そこまでお金のない人からお金を頂いて作品をお渡しするって、なんかちょっと後ろめたさあるよね。やっぱ売るならお金持ちがいいでしょ、って参加者の中からも外部の方からもお声が上がってました(まぁそうっすよね~)

でもそれだと、結局今までの美術業界と変わらない気がしていて。やっぱり教育という行政・福祉の分野を学んできたからこそ、金持ちさえ幸せならそれでいいっていう資本主義的な考えに安易に走ることは避けたかったのです(別に資本主義やお金持ちのすべてを否定しているわけではないよ)。

そんな私の意識を変えた2つの出来事がありました。別に売る相手はいいんだよ、お金持ちでも、って思えた2つの出来事。

まず1つ目はこちら。「作品を購入することで作品の所有権を獲得しながら、他の人たちがその作品にアクセスする機会を認める」というスタイルで作品が購入されたこと。

とある方が7月に『PM8:00』(正しく書くと8:00PMになりますが、私がアホナノデこの辺は許容してつかぁさい)という作品をご購入くださったのですが、その経緯が面白くて。

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ある日お店に行ったら店長に、「この作品、売約済みということにしてもらっていいですか?」と突然言われたのです。当然ですがわたしは「え、売れてないのに売約済み? え、何事? 困惑~~~~!!!」となり。詳しくお話を伺ったところ、「作品を気に入ったので購入したいが、自分が購入したことでお店から作品を外されてしまうのは嫌だ。この環境で美しく存在する作品をそのまま眺めていたい。」というようなことをおっしゃったお客様がいらっしゃったようで。つくづく、作品って売れてしまうと自分の目の届かない場所に行ってしまってさみしいなぁと思っていたので、「なるほど、そんな売り方/買い方もあるのかぁ」と思って承諾しました。

余談ですが、この売り方なら買った人以外も作品を鑑賞できるからいいよね。こういう売り方ができるのは、ギャラリーではないお店、美術以外の要素によって成り立つ環境だからかなと思いました。なんだろう、ギャラリーってどんな作品も受容できるようにデザインされた環境だけれど、飲食店はそうではないからこそ、逆に特定の作品がその環境にめちゃめちゃハマるってことがあるんですよね。ここで展示してよかったなって思った出来事です。

と、話がそれましたが、この一つ目の話のポイントは、作品を購入するということはその作品の所有権・財産管理権を得るということであり、購入したからと言って自宅に持ち帰る必要は必ずしもないということです。購入者のお気持ち次第では、その所有権を有さない人に対してもその作品にあ癖薄する権利が認められる場合があるってこと。これが「美術になじみのない人にも親しみを持ってもらい」つつ、お金のある人には作品を買ってもらって作家は次の活動資金を得て…というサイクルを作る一つのキーになるのではないかと考えています。とはいえおうちにかざりたいひともいるとおもうので、もうそこは完全におまかせです。おうちに飾った方が絶対いい場合もあるのでね。

次は2つ目ですね。私4月に『贈与としての美術』という本を購入したんです。それを数か月かけてちまちまちまちま読んできて、やっと先日読了したのですが。この本の4章ではルドルフ・シュタイナーの『シュタイナー経済学講座』を援用しながら、そしてマルクスの『資本論』を大分斬新な方法で解釈しながら、贈与としての美術の可能性について説かれていました。その内容と直接関係があるかって言ったらKANARI怪しいんですけど、読んでいて「美術って贈与にも商品にもなりうるから、それをうまく使えないかな」と思ったわけなんです。

ざっくりいうと、美術品を購入できる・あるいは前向きに検討している人には商品として、そうでない人に対しては贈与として美術を顕すのです。

よく、美術作品の価値はお金で測れないっていうじゃないですか。それってなんでかっていうと、美術作品には明確な使用価値がないから、というか、使用価値のふり幅が広すぎるので貨幣によって等価交換することが難しいからです。例えばパンであれば、買う目的って大抵は「食べること」なので、食べることができれば価値があるわけで。んでもって、買って食べられることでパンの価値は0になります。消費を伴って、価値が0になる。

じゃ、絵はどうか。買って、眺められて、そんで絵の価値は0になるかといえばそうでもない。飾られて0になるかといえばそうでもない。破壊されて0になるかと言えばそうでもないし、窓際に飾られてたせいで日光で褪色しちゃっても、必ずしも0になるとは限らない。むしろ価値が上がることすらある。ただ一方で、鶴の一声「この作品には価値がない」があるだけで、一気に価値がなくなることだってある(所有者が権威に躍らされる人なのかどうかだよね)。

こういう性質があるからこそ、美術作品は個人が所有しながら同時に共有することも可能なわけで。だからさっきの「作品は購入するけど、そのまま展示で」ができたってわけ。誰かがそれを購入して所有していても、その等価交換の場に参加しなかった人もその恩恵にあやかれる。贈与を受けられる。これって美術ならではだなと思いました。


で、この2つの出来事を介して、そもそもこのミジュツカという活動の目的が何だったんだろうって改めて考えたんです。

最近Twitterで、「Twitterに作品を挙げるタイプの絵描きって、もちろん見てほしくて制作する人もいるけれど、「自分がつくりたいから作った!
!でも、せっかく作ったしついでに人にも見てもらえたら嬉しいな」みたいな人もきっと多いはず。彼らは発表の場がなくなっても「作りたいから」という理由だけで創作を続けるだろう」みたいなツイートを見かけたんですよね。

私、これ読んで「いやそれな!」って思ったんですよ。確かに作品見てほしいし売りたいし。でも「作りたい」という衝動は、それらとは別ものなんです。とりあえずわたしのなかでは。

で、ミジュツカは「せっかく作ったんだし、見てもらえたら嬉しいな」を後押しできる場であることが望ましいのではないかと思いました。作品に対する肯定っていくつかあって、それは「買いたい」「欲しい」と人から思われること、そして実際に購入されることである場合もあるし、「ずっとこれを眺めていたい」「この作品を見ることができてよかった」「素敵な作品だな」「共感できる」と鑑賞者に思ってもらえることである場合もある。あるいは、その作品が発するメッセージをきっかけに、なんらかの社会的な行動を起こす人が表れることだったり。作品を受容する行動、美術を愛好することって、購入に限ったことではないのです。

そう考えた時、「若年層に作品を購入してもらうことで~」という縛りが、実は不要だったのではなかったのではないかという思考に至りました。これは私の思想なのでごり押しするわけにはいかないのですが、美術ってコミュニケーションの一種なので、人に何かを伝えることが最終目的だと私は考えています。だとしたら、必ずしも売る必要はなくて。美術が発するメッセージを受信するために、購入することも必要になるかと言えばそうではなくて。だから、買える人は買えばいいし、買えない人は買わなくていい。ただ、どちらの人も美術にアクセスできればそれでいいのかなと今は思っています。

で、ここからは完全に購入する人のお気持ちに依拠することになるのですが、先ほど紹介差し上げた事例のように、「作品の所有権を持ちながら、他者が作品にアクセスすることも認める」という購入の在り方もあるんですよね。これのすごいところは、その購入によって作者の手元には収入が入る(頭痛が痛いみたいな言い方だな)し、購入者は作品の所有権を主張できるし、非購入者はお金を一切払ってないのに作品を鑑賞できちゃう。これがシステムとして機能したら、お金持ちに対しての作品販売であったとしても、お金持ちでない人たちへの美術鑑賞の機会も保障できてしまうなと思い、意図せずしてものすごい気づき(大したことじゃなかったらごめんなさい)を得たなと今、感動しています。いつか、「私が買った作品」展とかもできたらおもしろそうだなあ。


と、まあ話がまとまらないのですが、この数か月の活動、そして参加者や他の方々からのご意見もいただいて、今まで掲げてきた理念やら活動やらを見直して、新しいことを模索していこうかな、と思っている今日この頃です、というご報告でした。(長いんだわ)

ついつい楽しくて長々と書いていたら、もうこんな時間。明日(もはや今日)朝からバイトあるのにこれはまずい! もう寝たい! それではグッナイ!! 意見とか知見とかこの本読むといいよとかこんな事例あるよとか、あったらコメントいただけると嬉しいです!! 深夜テンション失礼しました。

補記
作品購入によってしか得られない体験というのもきっとあるので、大富豪じゃなくても作品が買えるっていう状態を作ることも諦めないつもりです。

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