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踏み出すために必要なもの

今年の1月から関わり続けてきた、学生たちとのプロジェクト「あきこま」が先週土曜日を以て終了しました。

「あきこま」は、表向きには空きコマ時間の学生の居場所づくりを、裏では表現活動を行う学生とそうでない学生たちの接点を作る事を目的に掲げて始まりました。この取り組みが始まったきっかけには、「ミジュツカ」を主催していた私と、「YUC」という学生団体に所属していた学生たちとの出会いがありました。

ほぼほぼ初対面で「一緒に何か面白いことをしたいですね」と持ちかけられ、こうした始まりってだいたい長く続かず途中で倒れそうなものですが、多くの仲間、それも行動力と積極性・主体性、そして新規性を好む性質を持った学生たちが気づけば30名ほど集まり、紆余曲折ありましたが一つの「面白いこと」をできたのではないかと思います。


これは私の修了論文でも主題チックになっていたことなのですが、「何か新しいことを始めて、それをずっと続けて、また新たなことに取り組んでいくために必要なことは何だろう」ということが、ここ数年の私の中でのトピックです。

「あきこま」が始まったとき、既に修了論文の執筆はほとんど終わっていましたが、この始まりは私に新たな確信をもたらしました。

それは、「何か新しく、困難を伴う、けれども魅力あることを始める時、そこには仲間がいることが望ましい」ということです。

修了論文において、私は「学生が自身の表現活動を継続して行っていくために、周囲がすべき支援は何だろうか」といったことについて論じました。そこでは、身もふたもないですが、「資金」「時間」「安定した活動拠点」「精神的な余裕」が求められる、ということを書きました。それに加えて述べたのが「仲間」の存在です。

「仲間」の存在は、先に述べた「資金」「時間」「安定した活動拠点」「精神的な余裕」を補いうる、ほぼ最強の存在であると私は考えます。仲間というのは、一時的にではあるけれども同じ方向を向き、目的のためにともに進んだり、あるいは背中を押す存在です。一人では「お金ないし、時間もないし、場所もないし、、そんなに頑張れる気もしないし、、、」とあきらめてしまうことも、「みんなでお金を出し合えばいいよ」「役割分担をすればいいよ」「知り合いがここ貸してくれるって」「絶対面白いからやろう!」と、完璧な解決ではないにしても、ないよりはずっとあった方がいいような力をもたらしてくれます。

ことに、それが学生同士であるならば、社会人のように雇われ先の会社の規定に縛られて思うように動けない、ということはなかなかないですし、予定も時間をずらしてやりくりすることが出来、かつお互い近所に住んでいたりするので、協力し合うことはたいていの場合比較的容易です。もちろん、それだけの信頼関係や協働関係を築くことができていれば、の話ではありますが。

また、そうして集まる仲間たちを、あえて組織化しないということもまた、強みであるように思います。もちろん、長期的な目標を掲げてやっていくなら組織化した方がいいでしょうが、「あきこま」も「ミジュツカ」も、その時々の欲求や興味に従って駆け抜ける短距離走のようなものです。今の私にとってはどちらも、長く走り続けることが目的なのではなく、そのときそのときの「やりたいこと」を実現していくための場です。とするならば、組織化するよりは、各自が共感できるコンテンツがあったときに、共感できる人同士で集まって楽しんでやっていくことが理想的だと私は感じています。


願わくば、「あきこま」や「ミジュツカ」に集った学生たちの間に、信頼関係や協働関係が生まれていますように。いつも一緒にいる必要なんてないけれど、誰かが「これをやってみたい」と言った時に、「自分もやってみたい」と心からそう思って、また集まって何かが始まったりしたらいいなと思っています。

繰り返しにはなりますが、何か新しくて楽しそうで魅力的で、でも困難を伴っているように思われることを始めようとする時、最後に背中を押してくれるのは、自分の熱意ではなく仲間の存在、仲間の共感であると私は思っています。この出会いを大切にしろなどと押しつけがましいことは言いませんが、「あきこま」に参加したみんなが、この先もそんな仲間たちに恵まれますように。また何か挑戦するときは、ぜひ私にも声をかけてください。


とかいってね!! 発起人して着想段階であれこれ言ってただけで、4月以降ほぼ何もしてないんですけども。でもこうして仲間が仲間を得て、輪を広げて楽しくワイワイやっている様子を遠くからではあるけれども眺められて幸せでした。またこういうことをしたいな。

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