論理的に話せばいいというウソ
説明上手とされる池上彰さんは、日本語を日本語に翻訳するというテクニックを使うことがあります。
インタビュー相手の専門家が難しい用語を話すと、「長期金利、つまり国債などの利息のことですね……」と「翻訳」を入れて視聴者の理解を助けるのです。
特定分野の知識量では専門家のほうが勝っているかもしれません。しかし、わかりやすい説明で納得を得られるのは池上さんなのです。
専門家が話す論理的でムダのないフレーズは、アタマに入ってこない場合があります。大学教授の、あまりにも正しく的確すぎる話を想像してみてください。
また、難解な単語がいくつも出てくると、理解するのに時間がかかります。立派ですごいことを言う人と思ってもらえるかもしれませんが、内容がスムーズに伝わり、人々が動くかというとそうではありません。
文法を間違えずに話すのも大切ですが、キーワードしか届かない傾向があることも事実です。相手は、それほど注意深く聞いているわけではありません。
研ぎ澄まされた、正しいけれどつまらないキャッチコピーより、印象的で強いキーワードが使われている1行のほうが記憶され行動に結びつくこともあるのです。
失敗トークもよい経験に
アメリカではテンション高く、理詰めで早口にしゃべる人のほうが説得力を持つことが多いといいます。メンタリストとして知られるDaiGoさんも、自身の配信動画などで「わざと早口で話している」と言っています。
しかし日本では、立て板に水の理論派よりも、間違えたりしながら訥々(とつとつ)としゃべる人のほうが信頼される傾向もあります。「三百代言(さんびゃくだいげん)」と揶揄する言葉があるように、ペラペラと饒舌(じょうぜつ)に話す人は警戒され、どちらかといえば寡黙な人のほうが言葉の重みを持ちやすいのです。
また、どんな失敗、失言も、あとから見れば意味があったと思えます。部下へのパワハラ発言も当たり前だったスティーブ・ジョブズは、アップルを追われたことを「とても高いクスリだった」と、のちに告白しています。
失敗、失言して怒られようが、命までは取られません。失言があっても、それはあなたの成長に必要なチェックポイント(通過点)なのです。
スケールは小さいですが、私も20代の頃はずいぶんと失言をしました。スジを通そうとした発言でクライアント企業を出入り禁止になったり、本当のことを話しすぎて元請け会社から呼ばれなくなったり。
「今ならもう少しうまくやれただろうな」という失敗は星の数です。正直なところ、自分のスジを曲げてまで稼ぎたくないと、いまでも考えています。スジを曲げてまで生きていくことが得策といえるほど人生は長くありません。
正しさより心に触れるフレーズを
ヒットする映画の企画はログラインで決まる、という定説をよく聞きます。
ログラインとは、映画のストーリーを1行にまとめたもの。映画の企画が通るのも、劇場でヒットするのも、魅力的なログラインで表せるかどうかにかかっているというのです。
たとえば「エイリアン」は「宇宙のジョーズ」、「アントマン」なら「アリのサイズのヒーローが悪者と戦う話」というようなフレーズです。
しかし、物語には定型というものがあります。たいがいの映画は「主人公が苦難に遭いながら仲間の助けを得て克服し、成長する」話なのです。ことなるのはキャラクターや舞台などです。弱虫や元犯罪者が、宇宙や砂漠、雪山、海洋で……。
個人的に、これまで観てきた面白い映画は、あらすじをひと言で語るとつまらなくなるものばかりでした。むしろ、脚本の料理の仕方や隠されたテーマ性がすばらしいのです。「神は細部に宿る」とも言うではありませんか。
では、ログラインでないなら何か。
それがキャッチコピー(映画の場合は惹句(じゃっく)と呼ぶ)です。『八日目の蝉』という映画のログラインは「女性が不倫相手の子どもを誘拐する話」となります。それほど魅力的な作品には感じられません。しかし、キャッチコピーならどうでしょうか。同作品のキャッチコピーはこれです。
〈例〉優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした。
一瞬にしてドラマが見えてきませんか? 不条理な人間模様を描いた作品に興味がわく。観たい気持ちを刺激することができそうです。
論理的に正しいことも、心にフォーカスを当てたフレーズにはかなわない。人と人とのコミュニケーションの中で、私たちは相手の心に寄り添うフレーズを放つべきなのです。