この世は四苦八苦。
昨日、仕事でわちゃわちゃが勃発し、対応に追われていたらSlackの通知がなった。
今は別の部署に異動した、同年代のその人からの連絡には
「実は、先々週父が急逝しました。明るい話題でなくてごめんなさい!エネルギーを蓄えたくご飯でも行きましょう。」ということが書かれていた。
最低限の人にしか伝えていないとの事だったので、私に連絡をくれたのは私が同じ経験を持つからだろう。
頭の中が急に静かになり、彼女に伝えられる言葉を探した。
「大丈夫?」……大丈夫なわけがない。
「無理しないでね。」……無理をしないと倒れてしまい立ち上がれない。
大人になってたくさんの言葉を知ったはずなのに、かける言葉が見つからない。言葉では表せない。
でも一つ分かることがある。
私にお父さんの急逝を伝えるこの文章を打つとき、彼女はきっと泣いただろう。ということだ。まだ自分でも受け入れられないことを、人に伝えるために言葉にする時の彼女の心の痛みを思う。
「伝えるだけですごくエネルギーのいる事だったと思う。連絡をくれて本当にありがとう。
自分にも経験がある事なのに情けないが、家族の急逝はあまりにも悲しく、かけられる言葉を私は持っていない。ただ、ただここからお父さんの御冥福をお祈りします。」
そう返信の文を打ちながら、涙が溢れてきて目を閉じて手を合わせた。
一つの物語を生き切った彼女の父への心からの敬意と、彼女の母と彼女の哀しみに。
ただただ祈った。
人間の意識の持つ力はものすごい。
作為のない純粋な祈りは必ず届く。
トラブル対応に私を引き戻すSlackの通知音が鳴りまくっていたが、しばらく目を開けられずそのまま手を合わせ続けた。
後から後から涙が溢れてきて止められなかった。
あ、今日は6月23日。沖縄慰霊の日だ。
そう思い、しばらくそのまま目を閉じた。
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