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5:夫と死別してから4年目の春に今想うこと

葬儀を2日後に控えたその日も、野方から15時位に最寄り駅に戻り家に帰ろうと思った。だけどその日は涙が止まらず、これでは家で待つ母と娘を心配させると思い、マンションの前まできてまた駅に戻り、もう帰れるかなと思ってマンションに行くもやっぱり家には帰れずまた駅まで向かうを繰り返していた。
家と駅が徒歩3分程なのに、夕焼けで空が赤く染まるまでそうしてウロウロしていた。いったい何十往復したのだろう。完全に不審者だったと思う。

静かに落ちていく真っ赤な夕陽を見ながらまた駅に向かっている時だった。
夕陽の下を通っているバイパスも線路も車も家も全てが夕陽に溶けてオレンジ色になった。

何度瞬きをしてもそこにあるはずのものはなく、ただ暖かく何もない音もないオレンジの世界に突然私は包まれた。

その時間は長さで言い表せる類のものではなかった。恐らくは数十秒なのだが、これを「永久」というのだと知っている気がした。

罪悪感と不安でいっぱいのはずなのに、その時押し寄せてきた感情はそれとは真逆の絶対の安心感のようなものだった。

公園に行きベンチで放心していると「私はなんて幸せだったんだろう」という思いが溢れてきた。今の私の願いは「彼を返してください。他には何もいらない」だけだがつい5日前までその願いが叶えられていた世界にいたのだ。
なのに、どうしてそれが有り難いことだと忘れ、本当は幸せなくせに「もっともっと」と外から見て幸せそうであることに重きを置いていたのだろう。と。
座っていられないほどの深い懺悔の思いで、手を合わせたまましばらく動けなかった。

次に浮かんできた思いは「死ぬ」ってどういうことだろう?というものだった。
ずっと昔に考えて、だけど考えても仕方ないしな。と思ってすぐに辞めてしまった気がする。人が死ぬとはどういうことなんだろう。もちろん体は失くなる。だけど心や想いや魂みたいなものは人が死んだらどこに行くのだろう。体と一緒に失くなるのだろうか。それならば幽霊というのはなんなんだろう。

私は一番大切な人が死にいく今その時にいるのに「死」について何一つ分かっていない。

泣いている場合ではない。「死」について知りたい。そう思った。

ベンチから立ち上がり、家に向かいながら、あのオレンジの世界はなんなんだったんだろう。と考えた。

大学生の頃、沖縄に一人旅をしていた台風の夜、ゲストハウスに「ブラックジャックによろしく」という漫画が置いてあったので、そこにある巻だけ読んだ。
途中からの巻が飛ばし飛ばしにある状態だったのけれど、癌を宣告されたある母が「不思議ね、世界から色が失くなるのね」といったシーンがとても印象的でその時なぜだかそれを思い出しながら歩いていた。

きっとあの漫画と同じだ。人はあまりにもショッキングな出来事があると、目が錯覚を起こすのかもしれないと思った。
深呼吸をして「ただいまー!」と家に入った瞬間。

全ての電気と、夕飯を作ってくれていた母が使っていたガスも消えた。
もうすっかり日が暮れていたので1分位、真っ暗になった。

咄嗟に出てきた思いは恐怖だったが、次に湧き上がってきたのは「違う。目の錯覚などではない。目に見えない世界がある」という気づきだった。

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