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失敗から始めよう

最近、私は絵に描いたような失敗をしてしまった。少し詳しく言うと、一か月くらいかけて準備してきたことが、望まない結果に終わってしまったのである。

「失敗した」とわかってから、ショックでしばらく打ちひしがれていた。でも30分くらい経った頃から、急に気持ちがすっきりとしてきた。もしも失敗したらけっこう引きずるだろうな、と思っていたのだけれど。

大失敗した後、なんだか妙にすっきりとした気分になる。この不思議な感じ、前にも味わったことがあるような気がした。確か、大学4年生のとき。あのときも、季節は春だったように思う。

当時、私はやっと教員採用試験を受けるための準備を始めたところだった。私が通っていた教育大では、3回生になると5限に、教採対策のセミナーが開かれるようになる。4回生になったら、そのセミナー内でグループ分けされ、そのグループのメンバーとともに対策を進めていく形になっていた。

私は4回生になるギリギリまで教員になるかどうか迷っていた。決心がついたタイミングでセミナーに参加し始めたので、同じグループの人たちとは1年遅れ。どれくらい自分が遅れをとっていたのかは、初めて参加したセミナーでいきなり思い知ることになる。

「ではグループで一人ずつ、1分間の自己PRをしてみましょうか」講師からそう指示が飛んできた。しかも運悪く、私がトップバッター。頭が真っ白になって何を話せばいいのかまったくわからず、名前と大学の所属以外、何も言えなかった。周りから流暢な言葉が聞こえてくる中での重たい沈黙、冷や汗、グループの子たちの視線。あの長すぎる1分を思い出すと、いまだに苦い気持ちになる。

そしてなぜか、この日の帰り道のこともよく覚えている。一人で電車の隅っこの席に座った私は、なぜかすっきりとした気持ちだった。ついさっきまで、恥ずかしい、消えたいとまで思っていたのに。

すっきりしたのは多分「もうやるしかないんだ」と思い知らされたからだと思う。私は今、同学年の人たちの中で間違いなく底辺にいる。だったらもう、シンプルに誰よりも頑張るしかないのだ。

大失敗のおかげで、自分のやるべきことが明確になった。だから、逆に晴れやかな気持ちになれたのだと思う。あの日の失敗が自分にエンジンをかけるきっかけになって、その後なんとか試験に合格できたのかもしれない。

今回も「失敗した」とわかった瞬間、急にいろんなことが見えてきた。「何がいけなかったか」とかもそうだけど、それよりも失敗がきっかけで「次にやるべきこと」がはっきりしたことが一番大きい。

最近、コワーキングスペースでの空き時間に、施設内に置いてある堀江貴文さんの著書『ゼロ―なにもない自分に小さなイチを足していく』を読み進めていて、この本のメッセージもたまたま、今の私を勇気づけるものだった。

「失敗しても、またゼロに戻るだけだ。決してマイナスにはならない。だから、一歩を踏み出すことを恐れず、前へ進もう」

できれば失敗はしたくないし、しないように努めたい。でも、失敗が教えてくれることはあまりに大きくて、そこから新しい何かが始まっていくこともあるのだ。小さい頃からずっと誰かに教えられてきたはずのことを30年も生きた今、ふたたび噛みしめながら私は前に進もうとしている。

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