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結婚式で背中を押された話

先日、10年来の友人の結婚式に出席した。私にとって、出会ってから今までずっと定期的に会っている友人は珍しい。

「minは自分の芯を持っていて羨ましい。私には意思がないから」深い話になると、彼女はよくそう口にする。私自身、自分にも彼女に対しても、あまりそう感じたことはなかった。でも本人なりに、思うところがあるのだという。

準備を進めている時期にも「お互い意思がないから難しい」と不安を漏らしていたことがあった。立場上いいアドバイスもできず、聞いてあげることしかできない私。とにかくうまくいくといいなと祈るばかりだった。

当日。新婦として、神聖な式場の扉からウェディングドレス姿の彼女が現れた。晴れやかな顔をしていてほっとしたし、涙が出るほど綺麗だった。

披露宴では、何度も驚かされた。彼女の好きなキャラクターをコンセプトに、細部までこだわりがつまっていたし、参列者が楽しめる仕掛けや工夫も満載。「自分はこうしたい」「こんなふうにもてなしたい」そんな意思が、一つ一つのこだわりに込められているのを感じた。

何より彼女自身も、心から楽しんでいたと思う。式や披露宴で一滴も涙を流さず、終始笑顔をいっぱいに浮かべている新婦を見たのは初めてだったかもしれない。

それから、今までたくさん出席してきた中で、こんなに背中を押された結婚式も初めてだった。自分の中にある「やりたいこと」をちゃんと見つけて、それを忠実に実現する喜びや充実感が、彼女の姿からひしひしと伝わってきたのだ。

「やりたいことをやる」って、結構難しい。何をやりたいのか自体が見つかりにくかったり、素直な気持ちが何かに阻まれたりすることもあるし、実現の段階でうまくいかないことだってある。

最近の私は、特にそんな感じ。やりたいことがあるのに、なんとなくその場に流されて動けない。そうこうしているうちに「本当はやりたくないのかな」「優先順位があるから今はいいや」と、余計な思考に負けてしまうのだ。

でも「やりたいこと」が実現できたときの充実感は何よりも大きい。そこにたどり着くためには、自分の心に耳を澄ませないといけないし、何がやりたくて、何をやりたくないのか、そのために何が必要で、何を犠牲にすべきかを考え、行動しないといけない。

結婚式は特殊な場面かもしれないけれど、彼女は「やりたいこと」を見いだして、妥協せず、やりきったんだと思う。「意思がない」といつも自己評価していた友人のそんな姿に、勝手な解釈だけど、背中を押された気持ちになった。

人の結婚式で、感動以外の気持ちが巻き起こったのは初めてな気がする。こんなの本人には恥ずかしくて到底言えないけれど、私にとって忘れたくない結婚式になったことだけは、ちゃんと伝えたいと思う。

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