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「ボランティア」の使われ方の変化について

「ボランティア(volunteer)」と聞くと、多くの人が良いイメージを持つのではないでしょうか?

しかし、昔親戚と食事する機会があった時、ある1人がボランティアという言葉について話し始めました。

その人は、この言葉自体がものすごく嫌いで、軽々しく使ってる奴がいると気分が悪くなると話していました。

この方は年配でとても物をよく知っていました。教養があるんです。そして、経営者で社員をまとめるしっかりものの人物でした。
この人の言ってる事を嫌う人はいるのですが、私はどうしてこんなにも彼が「ボランティア」という言葉を嫌うのか?何か理由があるのかもしれないと耳を傾けていました。

すると、意味や使われ方が時代と共に変化して時として利用されてきている語が「ボランティア」と分かったんです。

そういう背景を知り嫌いになったんだろう。と私は理解できました。

良い言葉と印象づいてるから、それを嫌いと言ってる人の話に最初から耳も傾けない。
それどころか、心もない悪い人だとか言ってる人を見て、私はとても気分が悪くなったんです。

こんなにも自分の感情や視野だけで物を見て、与えられた情報だけで判断する人が多いんだなと…

現在、文脈を見ずこの言葉は、悪い言葉だから削除しようとか、その逆で、良い意味だからどんどん使おう。しかし、文脈は悪いとかいくらでもあります。

文脈を取らず言葉の意味だけで良し悪しを判断することは、誰かが何度も刷り込めば印象操作できてしまう事です。

これはとても問題だし、実際世界で起こっていることです。

だから、暗記してそのまま一語一語の繋がりとして文脈を見ないのはいかに危険なことか。

英語もそうだけど、あちこちにそんな教育が溢れている。

さて、volunteer はどんな言葉でしょうか?

最初の語源は、おそらくフランスで戦争の意味として使われています。(しかしもっと遡ればラテン語で違う意味の可能性もある)自分の意思で軍人になることを表す語。戦争は幸せに暮らしている人々が傷つく物です。これは双方共に…。そしてもちろん、兵士も傷つく。

自分の気持ちで出陣する。であれば、命令ではない。死傷した時は誰が責任を取るのでしょうか?「volunteerすれば」自己責任だよねと言える訳です。その自由意思から参加した人が始めた戦争でなくてもそうできてしまう。

そしてどうしてなのか、このvolunteer の意味が何十年か経ち、今私たちが知っているような良い印象を持ったボランティアの意味に変化していきました。(もしかしたら最初はこうなのかもしれないが…)

自分から人助けをする。良い人のような印象。

言葉は声に出すと音になります。teer の部分です。なんとなく、ここら辺の響きを聞くと心地よい雰囲気がする人が増えてもおかしくありません。人の意識の中に刷り込まれるんです。

そして、時が経過し、例として privateer という単語に表れます。これは、最初の戦争に関係した単語の意味です。

これだけの背景を考えたら、私は単純にvolunteer という語を好きになれない人の気持ちは分かります。

コロコロ意味合いが変化しているんですよ。良い意味から悪い意味を繰り返す事が可能になる。

言葉は人が生み出したもの。

人が如何様にも変化させる事ができる。

私的には、文脈やその場の環境、どんな人がどんな思惑で、どういう背景で使っているのかまで考えると、嫌いになる事もあります。

文脈で言葉を判断しないことは、どれだけ潜在的な危険があるかという話。
悪い事をする奴がいなければ良いですが、世の中そうできていない。

暗記教育は怖いと思っています。

そして何も考えていないと、本当は温かい心を持っている人でさえも悪い人と勘違いする可能性まであるんです。

単語で判断する人が多ければ多いほど印象操作は容易にできてしまう。

言葉狩りは危険思想です。

現在は文脈を無視して、悪い言葉と言い削ったり言葉を勝手に変えたりするものが時として目立つ。おかしな時代だと思います。

本来なら、文脈をとる事を英語であれ、日本語であれ心がけるべきなんです。

どうか一語一語で判断する事をやめて欲しいなと思っています。

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