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ビジネスに溢れるカタカナ語

最近度々目にするのが、オフィスで使われているカタカナ語です。

と、言っても語源は英語なんですよね…。

だけれども、完全にカタカナで書いている訳だからカタカナ語。

私は、これに少々疑問を感じる事があります。英語は国際的な共通語。海外との取引や外国人とのコミュニケーションで英語を使うのは当たり前です。意思疎通を図るためのツールが英語だと都合が良いから使う。

しかし、そのような場で使う英単語をわざわざ日本語の会話に混ぜ込む必要性があるのか甚だ疑問に感じています。

最初に、私が違和感を感じたのは詳しくは忘れてしまったけれどビジネスの記事で見かけた“アジェンダ”や“アセット”という言葉です。

その時、私はオーストラリアでビジネスや会計学の勉強をしていた時だったので、

アジェンダ=agenda
意味: 議題

アセット=asset
意味:資産

とすぐ理解できました。

でも、これは果たしてカタカナにして言うべきなのか?

すごく違和感を感じました。

調べてみたら、今やオフィスでは様々なカタカナ語が飛び交う環境もあるとの事。

イシュー、ファーム、スキーム、ダイバーシティーなどなど…

なぜわざわざ日本語で言えば良い事を英語由来のカタカナを用いて言うのだろうか?

そもそも一つの英単語に複数の意味がある場合さえあるのにとても変だなと思います。

問題点、会社、目標達成する為の具体的な行動計画、多様性 

と日本語にした方が意味が一つになり明確なのに、わざわざ曖昧にしているとさえ思ってしまいます。

例えばissueでも、文脈によっては(話すべき)論点とかそういう意味にもなる訳です。

英語は大まかな文の構成があって、それに詳しく付け足していくコミュニケーション方式なので自然と長めに喋る人が多い。

だから、文脈から意味を判断しやすい。

英語はそもそも日本語とはコミュニケーション様式がかなり違っているから、急に英単語由来のカタカナ英語を日本語で喋る会話に混ぜ込む事は、コミュニケーション上の弊害になるような気がしてならないんです。

私が前に日本で製造業に勤めていた時のことを少し思い出しました。業界用語がとても多くて、長年勤めていた人は暗黙の了解のような“空気”から“察して”意味を理解する事ができた。

でもその反面で、新入社員や外の業界の人間はその用語をしっかり理解できなかった。

“新人だから意味わからないんだな”
“まあ、社の人間じゃないから分からんよね”

と嬉しそうに笑って優越感を感じている人を見て私はなんだか気分が悪い違和感を感じていました。

そうやって、言葉で自然と差異を作り上げて、ただ長くそこにいるだけで有利になる状況を作り上げる。言い換えれば不平等さを作り上げて、それで優越感を得て自分達が優れているように錯覚させようとし、自分達も酔って勘違いする。

コミュニケーションは、双方に理解を促したり意見を交換したりして新しい可能性を探したりも出来る素晴らしいツールでもある。

その1つの大切な本質を無視して、言葉を非効率にし対話を不自由にしているのが業界語であると感じざるおえなかった。

私は、新人の子にも威張ったりするのが嫌いだから平等に接していたので良く業界用語の意味を聞かれる事もあった。

その度に毎回作業を止める、もしくは時間を作って何度も教えなければいけない。

教える語句は毎回同じなので、バカバカしいなと思ってその語句をパソコンでさっと検索できるようにアイウエオ順に表でまとめたりもした。

それをさっと印刷して渡せば、私の説明の時間も省く事ができるしいつでも分からない人が確認できると思ったからだ。

でもハッキリ言って、そういういう表を作っていた事自体が本来はやる必要のない仕事だった気がしてならない。なんと無駄な時間だったのだろうか。

そもそもみんなが分かる言葉があるのに、わざわざ分かりにくい語を使用するのは何故か。

不親切かつ非効率、極まりない。

ビジネスに溢れているカタカナ語も本質的には、その業界語にとても近い気がしてわざわざ使う意味が私はよく分からないし不快で嫌いだ。

別にカタカナ英語なんて、リズムや音のアクセントが加わっていない時点で英語でもなんでもないし威張って使っているとしたら、なんと恥ずかしくてバカバカしい事だろう。

誰でも分かる分かりやすい噛み砕いた言葉を使う事が伝達する際に最も誤解が少ない効率的なコミュニケーションと私は思う。

カタカナ英語の蔓延が別に英語力を上げる手助けになる訳でもない。

対話の効率を上げて誤解を少なくして改善化に役立たせ空いた時間に英語の音に触れる時間を1分でも増やす方が随分と意味があると思う。

それに、意味不明のカタカナ英語の蔓延は日本語の乱れを招いているとさえ感じる事も多い。

日本語を大事に扱えない人が他言語になると急にその言語だけ秀でるなんて非常に考えにくい訳だから、カタカナ英語の蔓延には首を傾げるしかない。

言語は時代背景や文化が反映されながら形作られていくもので、それは英語であれ日本語であれ差異はない。

英語も日本語もそれぞれ魅力のある言語だと思う。

英語を使うとカッコいい、日本語だとダサい。

そう考えてやたらと意味不明なカタカナ英語を使いたがる人間が多い気がする事も感じる事があって、言葉の本質を分かっていなくて恥ずかしいバカをしているなとどうしても思ってしまう。

言葉を大切にして上手く伝わるための工夫や努力をしてこそ、優れたコミュニケーション力を持った人と言える。

ビジネスに溢れたカタカナ語は、対話の本質を置き去りにしている一つの例に感じてとても残念に感じている。

他にも、間違ってるなと思った事について書きました!下のページにまとまってます!!

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