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どうでもよさそうな会話

英語圏のネーティブスピーカーは、どうでもよさそうな会話が多いなあ。何の意味もない雑談が多いなあと思ったことはありませんか。

けれど、これは多様な人が集まる場では全くどうでもよいというわけではないのです。

色々な人が存在するため、相手についての情報量が少なすぎると関係性に困難を極める。そして、日々の生活で思いもよらないことで大変なことが増えるのを実感している人だらけ。それなので、どうでもよさそうなことでこそ重要という側面があるのです。

ここで確実なことは、察してある程度分かるのは似た属性の場合だけに当てはまるということは、痛いほど実感しているという事実なのです。

察して分かってもらおうと互いに思っている。そんな感じのコミュニケーションは、成り立たない方が当たり前。

それなので、ともかく互いに何でも良いので情報を与え合うことが、すごく重要になってくる。

扱いにくい人間は、よく分からない奇妙な人。
分からないのは、怖い。
そういうことです。

何も、自己紹介しあう必要性はない。けれど、何でも良いので適度に声を掛け合うのは、英語圏では習慣化している。生きていく上での知恵のようなもの。

英語圏の人は、おしゃべりで雑談好きだ。そう決めつけることは、この習慣性を無視しているので変なことなのです。

お喋り好きでなくても、雑談好きでなくても、社会性として、どうでもよさそうな会話をする人は溢れている。なので英語圏で平均的な日本人より雑談する人を見つけただけで、その人がお喋りとは限らない。

例えば、身近な例で“How are you?” というのがあります。これは、訳すとお馴染みの「お元気ですか?」となりますが、本当に調子を聞いてる訳ではない場合もある。

この場合、相手の反応を確認するだけで、返答なんてどうでも良い。なので、Hi. や Hello. と同じ感覚で使う人も溢れている。それを証拠に、
How are you? に How are you? で返す人もいたりするのです。

これは、親しみを込めている役割もあるし、自分が危険ではないと互いに相手に教え合う役割もある。

悪い言い方をすれば、危ない人間は返答の具合で何となく見分けをつける能力を携えている人が多数派。だから、品定めにもなっているのです。そうなってくると、質問も内容もどうでも良い。

ここは感覚の問題なので、言語化は難しいのですが、例としては、喋り方が呂律が回らなかったり目線がおかしかったりすれば、何か違法なものをやっているのではないかと推測するとか、そういうことです。

外交的で明るい性格だから、雑談好きでどうでも良い話を沢山する。それは、事実である場合と事実でない場合があると知っておくのが良いです。

雑談好きだからお喋りをしている人と、社会的習慣で情報を与え合うために雑談している人の2通りがあるのが英語圏です。

どうでも良さそうな会話でも、生活の知恵になっているのです。

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