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美を理屈でこねくりまわす

1.自分らしく、わたしらしく。
淡い空を背景に、可愛らしい女の子が映る写真。
そんな一枚に添えられているこの言葉。
違和感を感じるか?
YES.

2.あなたがあなたのままであることが美しい。
違和感を感じるか?
No.

3.あなたはあなたのままでいい。
違和感を感じるか?
YES.

「自分らしさ」
個の時代、なんていうけれど
そもそもなぜ自分らしくいなければならないのか。

なぜ画一化されていてはいけないのか。

これに対してはある程度答えられる人は多いだろう。


しかし、思考や努力を放棄した言葉にも思えてしまう。

目標に向かうことが辛くなり、
逃げた先が停滞という名のありのままなのではないか。

わたしを認めて、と言っているようで。

私がその気持ちを体験したことがあるから、
卑屈になっているのかもしれないけれど
わたしが惹かれるのは承認が目的となる世界ではない。


1.
この女の子を「女性らしさ」の象徴なのだとしたら。
ふわふわしていて、小さくうふふと笑い、
誰かに尽くすという一世代前の日本女性のイメージを
具体化したものであるとすれば
きっとこの子は「守られる存在」なのだろう。

守られる、とは、自分の決定権を相手に委ねることだ。
危険から遠ざけてもらう分、進む場所は相手が決める。

目を瞑っていていいよ、と優しく囁かれ
歩む先が地獄だとしても手を離せない。

不自由の代わりに手に入れられた無責任。

なのに主張をしている。そこに違和感を感じる。


2.
美しさとは何か。
心惹かれるもの、安らぐもの、逆に圧倒的な恐怖すら覚えるもの。
一人一人異なり、かつ必ず持っているものだろう。

環境や性格という表層的なところではなくて、もっと深く。
本能みたいなものに組み込まれている気がする。

自分を持っている人は
自分が何を美しいと思うか認識して、それに従う人。

人間は美の原石だと思う。
探究するかどうかは別の話だけれども。

ゆえに、違和感は感じない。


3.
あなたはあなたのままでいい。

心に響く言葉だ。
以前は心地いい響きだったけれど
今は違う音で響く。

まず、「あなた」の定義は何なのか。
成長を望み、現状に落ち込み、それでも前を向こうとする、
その一連の心の動きを「あなた」とするならば違和感はない。

しかし、≒あなたはそのままの状態でいい、進む必要はないと捉えることもできる。

故に違和感を感じる。

強者の意見のように思えるだろうか。

成長や努力を望むのかすら、個人の自由ではないかと。

きっとそれも、美しさに帰結する。

停滞が悪なのではない。
下降があるから上昇があり
停滞があるから飛躍があるだろう。

長期を見据えた短期的な停滞は、本質的な停滞ではないと思う。

しかし、誰かが助けてくれることを祈りながらゆっくり沈むのは
手を綺麗にのばすだけで必死に足掻こうとしないのは
シルエットは美しいけれど、滑稽ではないか。

私は、必死に足掻く人を助けたい。
そして、自分で沈んでいることにすら気づかず進み続けている人に
寄り添う人でありたい。

私は弱い。
すぐ泣き、すぐ怒り、そしてすぐ沈む。

でも見据えていたい。強くありたい。


守られる存在にはなれなくても、
そうして見る世界の方が、私はきっと美しいと感じる。

お気持ちとっても嬉しいです!