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どこからが『自分』で、どこまでが『自分』なのか

「夢をかなえるゾウ4」がとっても良かったので
今日はその中でも考えさせられた部分を書きます。
ネタばれ?になるのかしら。
まだ読まれていない方は、ここで引き返してくださいね。笑

夢をかなえるゾウ4


余命3か月を宣告された平凡な会社員。
愛する家族のために選ぶのは「夢のかなえ方」か「夢の手放し方」か…

今回は死をテーマにしています。
その中で主人公が「人は死んだらどうなるのか?」と質問します。

どこからが石で、どこからが岩で、どこからが砂なのか。

するとガネーシャは、石を指してこれは何か?と聞きます。
岩が削られ石になり、石が削られ砂になり…
では、大きさの異なる〇をたくさん書いてみて、どれが岩で、どれが石でという区別はどこでするのでしょう?大きさ?見た目?
つまり、モノの名前は単に人間がある特定の状態に名前を付けただけなんですね。

では、『自分』はどこからが自分でしょう?
受精した時から?生まれたときから?
受精する前の卵子や精子は自分じゃない?

グッときたところ

私はむかし海の近くに住んでいて、よく一人で海辺にいました。
波の音をずーっとただ無心で聞いていると、
何となく海に呼ばれている、一体にならなきゃいけない感覚がする時がありました。(つたわるかな…)

人の主成分が水であることから、何となく、私と海は、ただ形が違うだけで実は一体なんじゃないかと考えていました。

『土に還る』ちゅう言葉があるやろ。
自然から生み出された自分も、いつかは土になり、他のものに形を変えていく…質問に対する答えは『形を変えて他のものになる』ちゅうことになるやろな。

水との一体感覚

このような思想つながりで、恩田陸さんの『月の裏側』を思い出しました。人間が”盗まれて”、人間とよく似た”水に似た生命体”に入れ替わっていくお話です。

私は恩田陸さんが好きです。
おそらく”水”に対する感覚が似ているんだと思います。

おわりに

死ってとても怖くてデリケートな話ですが、夢をかなえるゾウ4は読み終わるとなんだか頑張ろうと思えます。今からできることをしよう!と前向きになれます。
普段ビジネス書ばかりになりがちですが、たまにはこういう本もよいですね!夢をかなえるゾウ1~3も読もうかな。






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