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断酒成功の素「スリップ防止」

どんなモノゴトも、継続することで絶大な力を発揮する。

断酒もそうだ。

ただ、人間は習慣化するまでに時間が掛かる生き物だから、継続する為にはコツが必要だ。

今回はコツの一つであり、わたしがかなり重要視している「スリップ防止」について伝えたい。


スリップとは断酒してる者が再飲酒することで、ここから機会飲酒(人との集まりの場などで飲むこと)→習慣飲酒(予定がなくとも晩酌などで飲むこと)へと発展し、飲酒量が増えて止まらなくなってくる。

ブレーキの効かない車が止まるキッカケが、壁への激突もしくは崖から落ちることであるように、そこまで行き着くと精神的か肉体的か、はたまた社会的にダメージを受けてやっとこ断酒に踏み切る…という人は少なくない。

わたしが心の糧としている「#Twitter断酒部」にはそうした仲間達がいる。

ちなみに、わたしは精神的にキたタイプ。
自己嫌悪に押し潰される日々で、頭の中では自分を否定し続ける声がずっと響いていた。

そこで2016年、初の断酒に踏み切ったのだが、スリップによってこの黄金ルートを何度も何度も辿ってきている。

マリオカートであれば、池ポチャした後、カメが吊り上げてくれて池ポチャ付近のコース内に戻してくれるが、断酒の場合そうはいかない。

またスタート地点に戻るか、それより後方からのスタートとなるのだ。
(あくまでわたし個人が体感した話)

前回の記事(「2.途中でストップする事なく、常に心身が回復し続けてる」)で書いたように、スリップすると再断酒するのに相当なエネルギーを要することから、断酒を快調に進める為にもスリップは避けなくてはいけない。


■「ここまで飲まずに来たから、コントロールできるっしょ」は悪魔の声

わたしの過去の断酒最長記録は1年で、自堕落した生活とは打って変わって、人間らしく生きられたことから自信に満ち溢れていた。

スーパーやコンビニなどのお酒コーナーを通り過ぎても飲酒欲求に見舞われず、ふふん♪とカートを走らせることができるのだ。

お酒を飲まないので毎朝目覚めはいいし、仕事してても眠気に襲われず、吐き気、怠さによってトイレに駆け込むこともない。
さらに毎日しっかり記憶が残るのだ!(これは凄いことなんだぞ!)

お酒を飲み始める前からこの感覚は確かにあったはずなのに、お酒によってドン底を知ったおかげで、この状態がいかに幸せなことなのかを思い知った。

・・しかし、闇は突然やってくる。
この状態が数ヶ月か数年経つと、頭の中でとある声が響く。





「ここまで飲まずに来たから、コントロールできるっしょ」

「だってわたし、今最強じゃん」

はい。
ここテストに出ます。
サービス問題と言ってもいいほど、必ずこの瞬間が来ます。

断酒をそれなりに継続できてると自信に繋がるので「今のわたしなら何でも出来る」と思えてくるのである。
それはとても素晴らしいし、それが新たな世界への踏み台になるのは確かだ。

ただ、知っていてほしい。

飲酒へ誘う声は、決して自分の意思ではないことを。

わたしはこれを悪魔のささやきと呼んでいるが、本当その通りなのだ。

何年、何十年断酒をしていても、飲酒欲求になりえる悪魔はわたしの中に常に潜んでいる。
なぜなら、アルコール依存症は一生完治しない病気だから。

隙を見つけてはお酒を飲ませ、わたしに我を見失わせようとしてくる。
絶対に油断してはならない。

その声が頭に響いたら、速やかにお酒から離れた場所に行き、大好きなスイーツやご飯を食べるなどして、まずは自分を満たすことを優先的にやる。

それでもその声が治まらなさそうなら、自分が真剣に断酒していることを知っている家族や友だちに電話したり会ったりして話を聴いてもらうのもアリ。

即行える手段としては、ツイッターで「#Twitter断酒部」のハッシュタグをつけて、飲酒欲求に見舞われていることをつぶやくのが一番だ。

仲間達が必ず手を引っ張ってくれる。
間違いない。

断酒は、1人でなくみんなで成功させるものだから。

■「家族・友だちのお酒と、わたしは無関係」と知る

家族や友だちと付き合っていると、お祝いなどのシーンで相手方が飲酒することもあるだろう。

宴会を数え切れないほど経験した人が、恐らく何かしらの理由で断酒しているはずなのできっと分かると思うが。

「今日はお祝いだからみんなで乾杯しよう!」

と、さも共感していますよという意思表明をするべく、全員同じ飲み物で乾杯するのがマナーのような空気感があるが、その祝い酒とわたしは全くの無関係。
ソフトドリンクで全然OKである。

他の人がその行為をお祝い表明としても、わたしが同じことをする必要は全くない。
何故なら、わたしはお酒を飲めない人(アルコール依存症)だから。
これはれっきとした事実で、上記のような空気感は社会に広まった概念であるに過ぎない。

目には見えないふわふわとした概念に飲み込まれ、確固たる事実として自分を滅ぼす行為をわざわざする必要性がどこにあるのか?

「「「どこにもないだろ!ウ○コタレめ!」」」

と声を大にしたいシーンを思い出して、ちょっと口が悪くなったが、もしそれを勧められたなら丁重にお断りしよう。

仮に飲んだとして、今は良くても、明日のわたしはきっと後悔に押しつぶされる。

その頃、祝い酒の主役やそれを勧めた人らは「あ〜昨日は楽しかったなぁ」と、わたしが飲もうが飲んでいなかろうが関係なく幸せに満ち溢れている。

繰り返すが、わたしが飲もうが飲んでいなかろうが、明日のその人は何不自由なく生きていけるのだ。

わたしだけが断酒道をリセットし、後悔にまみれ、飲んだことで記憶を失っているかどうかは知らないが、心身共に気持ち悪い朝を迎えることだろう。

これでもわたしが飲む祝い酒に価値を感じるだろうか。

■周りに「断酒」を宣言する

これはやっておこう。

自分自身の腹を括るためにも、先に書いたように、家族や友だちからのお酒の誘いを断つためにも必要だ。

わたしのスリップ要因の多くは、友だちとの乾杯のためだった。

その内容はほんと些細なものばかり。

「忘年会だから」
→共に今年の疲れを労おう

「友だちが落ち込んでいたから」
→わたしもトコトン付き合おう

「なかなか揃わないメンバーで会えたから」
→次いつ揃うか分からないから飲もう

どれを思い返しても、わたしが後悔にまみれボロボロになる代償をとるには、あまりにもちっぽけなものばかりだ。

相手方との付き合いは大切だし、どの方々も大好きな人たちばかりだった。
しかし、同じ場を過ごせただけでも嬉しかったのだから、そこでわたしがお酒を飲む必要は全くなかったのだ。

何か伝えたいことがあるならば『言葉』や(飲酒以外の)『態度』で示せばいい。

もし出来るなら、友だちらには「お酒の誘いはしないようお願いしたい」と伝えておこう。

しかし、相手方が誘ってきたとしても、仮にそれで飲んだとしても、全ての責任は自分にあることを重々承知しておこう。

なぜなら、付き合う人間も今取るべき行為も、全ては自分が選択するものだから。
相手方の言動・行動のもと、自分の選択が変わるというのは、「人生の舵を他人に委ねる」ことになる。

これほどまでに根気強く断酒してるのだから、そんなクソダサ人間になるのはもったいないだろう?

おわりに

断酒を継続するうえで、一番大切なことは「自分を知ること」

世の中には数多くの指南書や体験談が溢れている。
それらの中には、ある程度の統計や長年の研究から出てきた事実もあるので、頼りになること間違いなしだろう。

しかし、わたしというキャラクターでこの人生ゲームをプレイするのだから、わたし自身の取説を知ることが最も重要である。

この記事含め数々の指南書を、補助輪のようにサポーター代わりに活用しつつ「自分だったらこういう時どんな反応をするかな?」と、どこまでも自分を追求していってほしい。

その一つ一つの積み重ねであらゆる事をクリアしていくとき、きっと去年悩んでたことはすっかり解決し、乗り越えられてる自分に気づくから。

去年出来なかったのに今当たり前に出来ていることがあれば、それはそれはしっかり褒めてあげよう。

今日一日積み重ねる断酒が、必ず自分の心を強くする。
今日もお互い様に、ただ「飲まないこと」を積み重ねていこう。

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