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蹂躙(じゅうりん)という言葉って

歩いて20分ほどのスーパーに買い物に行った。家を出るときは、近くの道の駅で美味しい卵を買って、他のものはドラッグで買うつもりだったのだけれど、川沿いを歩いて県道に出たら、その先に行きたくなって、曲がるのをやめて、川沿いを歩く・・・そして気づいたのは、いつも土手に生い茂っていた竹がなくなっていたことだった。


真ん中の木の右は土手になっていて、その下に川がある

伐採された竹の残骸が何十メートルも続いていて、悲しくなってきた。川の反対側には工場があって、その敷地との境にはフェンスがあり、この土手の道からそのフェンスまでの地面にも木や草があったはずなのに、それも無くなっていた。
この道を通るとき、たくさんの笹の擦れる音を聞いたり、名前も知らない花を摘んだり、竹の間から太陽や空を見るのが好きだった。何百、何千、もっとたくさんかもしれないあの竹たちはこの事態を何と思っていただろう?

そんなことを思いながら、スーパーで平飼い卵と焼き海苔、生椎茸を買ってもときた道をまた歩く。

こんなのないよね、全部切られて、あの辺に木もあったのに・・・もうサワサワと心地いい音を聞くこともないのか。

犬の散歩をしている人に出会ったので聞いてみた

「すっかり変わりましたね」
「暑くてあかん、犬も前より近くで引き返すようになってもたんや」
「日陰がなくなったから、困りますね。また何か植えるんでしょうか?」
「いや、このままらしい。元に戻して欲しいわ!こんなことするさかい、熊が出てきたりするんや」
「え!このままですか?何のために?」
「河川愛護やて、竹が川におちるさかいやて、ほんなことないのに・・・」
その時、狐が何かをくわえて、道を横切り、土手を降りていった。
「あ、狐さん!!どこ行くんや?」
と犬の飼い主は、友達に話すように狐に叫んでいた。

その人と別れて、狐がどこに行ったのかと思いながら歩いていると、看板を見つけた。
「竹を切っています」と書いてあり、
環境保全とか、作業をしている会社の名前とかが書いてあった。
前に通った時もこの看板はあった、けど、そのときはまだ作業が行われていなかったし、竹はあったから、こんなことになるとは思わなかった。
あんなにたくさん生えていた竹は一本も残らず切られ、徐々に整地され、それまで何が生えていたのか全くわからなくなるのだろう。

それでも、自然は強い、すでに新しい竹の芽が出て、細く伸びていた。何本も。

川があり、堤防が築かれ、その上に道が造られた。川沿いの散歩道。川は水が少なく、堤防までの間に広い場所があった。そこにいつしか竹が生えて、その数はどんどん増え、古くなった竹は朽ちて倒れていく。川に流れた竹もあったのだろう、倒れた竹で散歩道も細くなったり、通れないところもあった。このままではいけないと誰かが言い出し、いっそ全部切ってしまおうと言うことになったのか?

その事業があることも知らなかった。今更何も言うつもりはないけれど、他の方法はなかったのか?
切り取られた竹の残骸を見て悲しくなって、蹂躙という言葉を思った。
じゅうりんって、
「暴力や、権力によって他の権利を侵したり、社会の秩序を乱したりすること」
と書いてある。
竹は、人ではないから、当てはまらないのか?

昨日訪ねた森は、人によって手を入れられ、木々が本来の力を発揮できるように改善されたそうだ。あの森は、とても気持ちよかった。手を加えられた人が自然に対して敬意を持って、行われたのではないか?そんなことを感じさせてくれた。だから、入山料を帰りにもまた入れてきた。

あの時、どうして狐が現れたのか?
ちょうど、犬の飼い主が、
「そんなことするさかい、熊が出たりするんや」と言った後だった。
狐は、
「その通り」と言いたかったのかも

環境保全の名の下の環境破壊

またあの自然の日除けができるまでに何年かかるのだろう?

ここだから話せる本音。

自然に対して、人に対するのと同じように接していきたいと願う。

読んでいただきありがとうございます✨




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