遺影写真の撮影での失敗から学ぶカメラマンの責任
みなさんこんにちは。フォトグラファーのミヤタケヨシノブです!
本日も動画をご覧くださりありがとうございます。
普段仕事の撮影では、
ブライダルの撮影だったり、ダンス、バレエの写真、
プロフィールやアーティスト写真など、
多くの場合、ポジティブな雰囲気の撮影を行っていて
被写体の魅力を最大限に引き出し、
また個性や力強さを表現することに力を注いできました。
こういった撮影は私にとってやりがいがあり、
いつも楽しく感じています。
今回は、そのようなポジティブな撮影とはまた少し違い、
遺影写真の撮影で、 今でも印象に強く残っているのですが、
これではカメラマンとして失格だなと大反省したことについてお話ししたいと思います。
■エピソード
それでは遺影写真の撮影で
大反省したことについてお話してみようと思います。
遺影写真の撮影自体は珍しいことではなく、 多くの場合はどの方にも喜んで頂けていたと思いますし また来年も撮りに来てくださいね!と
終始和やかな雰囲気の撮影が多かったと感じています。
ある日、スタジオで1日のスケジュールを確認していると、
遺影写真の予約が入っていて、
勝手な思い込みで年配のお客様が来られるのだと思い込んでいました。
でも、実際に予約の時間に来店されたのは
自分と同年代くらいの男性だったんです。
撮影する前は、いつもどのような写真を撮りたいかなど
ヒアリングをしながら進めていくのですが、おそらく私が
遺影写真を撮ることについて不思議そうに尋ねたんだと思います。
お話をいくつか伺っていくとその男性は
病気で余命がもう少ないことや、自分の写真はだいぶ昔のしか残ってないのでまだ動ける今のうちに写真を用意しようと思ったこと、
髪の毛や髭もまばらになってしまい、きれいに写真に残せれるのか不安に思っていることなどを話してくれました。
この時は、世の中でマスクの着用が一般的になり始めた時期で、
お互いにマスクをつけたままの会話だったのですが、
お話しの途中、彼がマスクと帽子を外して少しちからない感じで
微笑みながら色々打ち明けてくれた表情は今でも印象に強く残っています。
■失敗
ヒアリングが終わって実際に撮影となっていくのですが、
今振り返るとその時の私は冷静な状態では無かったんだと思います。
撮影の準備をしている時も実際に撮影している間もずっと、
病院の先生から病気についてどんな話しをされて、何を告げられて、
どんな風に現実を受け止めようとしているのか、
どんな気持ちで自身の遺影撮影の予約を入れて、
今日スタジオまで足を運んでくれたのか、 そんなことばかり考えていて、
その想像が一気に頭に広がってしまいました。
もちろん彼にずっと付き添って来たわけではないので、
彼の背景の出来事は私の想像に過ぎません。
だけど彼の心境や背景を想像しているうちに、
私自身の気持ちがどんどん落ち込んでしまい、身体にも力が入らず、
今思えば撮影自体もだいぶ遠慮したような消極的な撮影だったように感じます。
撮影に来て頂いた彼にもとても失礼なことをしてしまったと思っています。
あの時彼が打ち明けてくれたことに対して悲観的になるのではなく、
まずどのような事であれしっかりと状況を受け止めて、
カメラマンとして最善の撮影を行うべきだったのですが
あの時の私にはそれができませんでいた。
■反省と学び
今回の経験から私が反省し学んだことは、
まず、カメラマンとしてどのような撮影であっても基本的な役割は変わりません。 プロのカメラマンとして撮影する以上は、 どんなお客様に対しても
常に責任を果たさなければならないということです。
今回のように予測していなかったことに冷静さを失ったり
挙げ句の果てには、自分の勝手な想像によって
感情の切り替えや体調のコントロールができずに 仕事に支障をきたすのはまずプロとして失格だったなと反省した出来事でした。
そして、この体験から私自身がカメラマンとして、
また一人の人間として 学んだことはとても大きかったように感じます。
それは相手としっかり向き合うことだったり、
受け止める心の強さが私には足りていなかったということです。
人物撮影のカメラマンには 知識や技術を身につけるだけではなく
人間関係の構築やコミュニケーションスキルが重要です。
しっかり向き合い受け止めるということは、
相手の立場を理解することであったり、信頼関係を築くことにつながります。
今回の経験は情けないものでしたが、
改めて自分自身や立ち振る舞いを振り返る良い機会となりました。
■エンディング
いかがでしたでしょうか。
今回は遺影撮影で大反省したことについてお話ししてみました。
この話を通じて、何か感じてもらえたら嬉しいです。
彼が私に話してくれたこと、そしてその時の表情は、
ずっと忘れることはできないでしょう。
だからこそ、同じような反省を繰り返さないためにも
カメラマンとしても一人の人間としてもまた成長していきたいと思っています。最後までご覧くださりありがとうございました。
ミヤタケヨシノブでした。