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映画「インターステラー」の感想

※このnoteはネタバレをしておりますのでご注意ください。

映画「インターステラー」を見ました。おもしろかったです。去年見た「インセプション」に引き続き、人間の感情がたくさん描かれていてほんとに見てよかったです。全編とおして家族愛と人間愛が満載だったので、それをそのまま受け取ることとしました。

映画「インターステラー」の印象を一言で言うと、「後悔や不安を背負いながら生きる人にめちゃくちゃやさしい映画」だと思いました。わたしが配給会社の人なら迷わず副題つけます。「インターステラー ~『あの日あの時』を悔やんで前に進めないでいるすべての人へ贈る愛の物語~」。ダサすぎて上司に即却下されますねww でもほんとにそんな気持ちです。

映画の終盤、クーパーが言います。Who the hell is they? Why would they want to help us, huh? 吹き替えは「彼らって誰だ? どうしてそんなに親切なんだ?」だったと思います。たしかに。それはそうだった。そして、これはわたしが映画を見てる間ずっと思っていたことでもあります。この映画はどうしてこんなに親切なのか。どうしてこんなにやさしいのか。

なので、今回の感想は映画「インターステラー」の親切ポイントにしぼって書きたいと思います。(ちなみに、ここでいう「親切」「やさしい」は warm-hearted とか encouraging という意味であり  easy to understand ではないですww)。親切ポイントは以下の3つです。


親切ポイント① 時間は戻せないということをやさしく教えてくれた

生きてると「あの時に戻れたら」「あの時違う道を選んでいたら」と思うことってたくさんあるじゃないですか。時間が巻き戻せないことはわかってます。でも、わかってると言いながら「もし戻れたら、次はこうする」という想像もしてしまう。こんなこと考えている時点で心の奥底では時間は戻せないことを完全には受け止めきれてないんだと思います。

インターステラーの中では、一見、過去に戻って未来を変えたように見えるシーンがあります。でも、あれはタイムトラベルをしたわけではないんですよね。2時間かけて相対性理論や量子力学をずっと見せられてたわけがここにあると思います。ワームホールに向かう時、ロミリーが紙をくいっと曲げて重力と時間に起こりえる現象を説明してくれました。最後マーフィーの部屋へ行けた基本的な原理はあれなんだと思います。単にビデオテープを巻き戻したように一直線のタイムラインを遡って過去のマーフィーの部屋に行けたわけではありません。

これがなぜ親切ポイントなのかというと、代替案を提示してくれたからです。ふつう「あーあの日に戻ってやり直してえ…」と人に相談したところで「無理だから」「過去よりもこれからのことを考えて…なんたらかんたら」って説教されるのがオチじゃないですか。そんなことはわかってるんですよ。でも戻れたらと思ってしまうんですよ。その点、インターステラーは「じゃあこう考えてみたらどうだろう」という新しいアイデアをくれました。「マーフィーのあの日のあの部屋はひとつの宇宙としてそこにある。そして、今いる自分の宇宙はここにある。それぞれが一つの宇宙として存在する。その二つを五次元を操る未来人によって接することができるようにしてもらえたらどうなるか」っていうのを見せてくれました。むずかしい量子力学を映画のベースにもってきたのはこれを描くためだと思います。

もちろん、そんなの見せられたって、現実の今には五次元人はいないので、自分の悔いが残るあの日がいまも宇宙にあるとしてもそこにアプローチする手段はないです。それでも、「過去には戻れない」の一点張りよりずっとやさしいとわたしは思いました。「絶対に無理なんだよ」と言われるより「こういう可能性があるにはあるけど今はまだその方法がない」と言われたほうがいい場合もあると思います。結果が一緒でも響き方がぜんぜん違います。

そして、映画の中でマーフィーはパパからのメッセージを受け取ることができ、人類は滅亡せずコロニーで脱出できていました。映画の中でだけでもこの幸せな結果を見ることができたのは本当に元気が出ました。

親切ポイント② 子育てあるあるを忠実に再現してくれた

クーパーたちが最初の「水の星」で過ごした数時間は、地球での23年に相当しました。地球から送られてくるビデオレターの中の息子トムが、さっきまでティーンエイジャーだったのに、クーパーにとってたったの数時間過ぎただけで、学校を卒業し、彼女が出来て、結婚し子どもが生まれ、そしてその子が亡くなり、40代の疲れた男性になっていました。

これは、現実でもこれあります!! ほんっとにこれです。うちも子どもが10代になってますけど、ちょっと油断するとついこの間まで赤ちゃんだったような気になってしまうものなんですよ。生意気なこと言ってきますけど、お前なんかさっきまで粉ミルク飲んでただろ…って思うくらいですよ(相手の尊厳のために絶対に言わないけど)。ほんと毎日びっくりします。成長が早すぎて。

これは、たとえば単身赴任で離れて暮らす子にたまに会うと「成長したなー」と思う感覚とはまたちょっと違います。単身赴任の場合、親にも子にも同じだけの時間が流れているので、久しぶりに見たら大きくなっているのは当たり前です。むしろ、毎日顔合わせてる子どもなのに、え?? って思うくらい、あるとき突然、子どもは成長してることに気づきます。その感覚をものすごく上手に再現してくれててびっくりしました。オカルト以外ならまさに相対性理論でももってこないと表せないシーンでした。(ひとつだけ決定的に違うのは現実では自分も順調に老けていってるってことですけどww)

それから、水の星の1時間が地球の7年っていう設定はめちゃくちゃうまいと思いました。水の星の重力は地球の1.3倍だったので、その程度の影響でそんなに時間がゆがむの?? と最初は思ったのですが、この7年というのが絶妙な期間だと思いました。7年サイクルだと、新生児は7年後には小1になってますし、次は思春期、次は成人、次は結婚してて、次は子どもがいる、みたいな人生の変化がすごくわかる時間だと思うからです。自分の子、甥っ子、姪っ子など身近な子どもを思い浮かべて、7年後の姿かぁ…って想像してみると、このときのクーパーの衝撃や悲しさを少しだけ理解できるかもしれません。

トムが話してくれたライフイベントすべてにクーパーは一緒にいてやりたかったと思ったでしょう。親ならそうですよね。無念さがものすごく伝わってきました。

親切ポイント③ 親が絶対にかなえられない夢を見せてくれた

親なら自分の子にしあわせに過ごしてほしいと思うものです。それは自分の死んだあとも、子どもにとっての生涯ずっとです。でも、多くの場合は自分は子どもより先に死ぬから見届けることはできないです。

別に子どもを信頼してないわけじゃないです。でも、自分が子どもより長く生きてきて思うのですが、人間何歳になっても「もうこんなに大人になったから大丈夫!もう安心!」って思える瞬間なんてこないじゃないですか。むしろ人生後半戦のほうがつらいかもなあと思うくらいです。その大変な時期をこの子はちゃんとやっていけるだろうか。少しくらいならいいけどあんまり大変な事がたくさん起きないでほしい。充実した日々を送っていてほしい。友達やパートナーがいてほしい。笑顔でいてほしい。願望はきりがないです(自分だってそんな充実してるわけじゃないのに親ってほんと勝手ww でもまあそういうもんです)。

それに、映画の中でも描かれていましたけど、文明の誕生から5000年(だっけ?)の歴史を持つ地球がたったの直近100年程度で急激に悪いほうに変化し、いつまで持ちこたえられるのかわからなくなってきています。遠い未来の子孫には住みにくい星になっているかもしれないと以前思っていたことが、もう自分の次の世代ですら危うくなってます。この先どんな世の中になってるか想像もできないけど、我が子が将来大往生するまで安全に暮らせる環境であってほしいです。

でも、自分がそれらを見届けるわけにはいかない。

これをこの映画は見せてくれました。娘のマーフィーが長生きして充実した人生を閉じようとしている時間に父であるクーパーが居合わせることができました。これも相対性理論を持ち出した作品でなければまず描けないことでした。娘が立派に成長し、社会的に意義のあることを成し遂げ、伴侶にも恵まれ、孫やひ孫もいる。地球はダメになったけどそこに住んでいた人は安全にコロニーに移ることができた。そのことをクーパーは自分の目で確認することができたのです。こんなの、本当に親の夢ですよ。

これも①と同じように、現代の科学ではまず無理なことなんですけど、映画の中でだけでも見ることができたのはうれしかったです。そして、それがいつでもどんなときでも自分の娘に全幅の信頼をよせていたクーパーが実現したこととして描かれていたのがよかったです。クーパーは劇中2回は「俺の娘だ」って言ってました。1回目が NASAの敷地に入るときボルトカッターを提案されて That's my girl「さすが俺の娘だ」。 2回目がラストに近い場面で本棚の裏でTARSに向かって Not just any child「ただの子どもじゃない、この俺の娘だから大丈夫、できる」という意味合いでした。(もう1回あったような気がするんだけど思い出せない)。

よく考えてみたら、ノーベル賞物理学者を迎えてこんだけ緻密に量子力学だの重力波だのをベースにしてつくった映画の中で、なんの科学的根拠もない「俺の娘だぞ!」というセリフが登場するのだから本当におもしろいです。でも、クーパーは正しかった。これを見せられたら、自分ももう少し自分の子どもや次世代の人たちを信じてあげないといけないなと思いました。口先だけでなく本当に信じないといけないと思いました。

☆☆☆☆☆

というわけで、映画「インターステラー」がどのくらい親切でやさしい映画だったかを3点にしぼって書いてみました。このようなSF大作に対して的外れな感想かもしれませんが、自分が感じたことを正直に書きました。読んでくださって本当にありがとうございました。


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