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オクターブが届かない

つい昨日のことを去年と呼ぶ違和感に慣れることはいつまで経ってもないまま日々は過ぎて、
2024年は訪れた。
去年は頑張った!なんてありがちな言葉で済ませたくないと思ってしまうくらい去年は必死だったと思う。

昔通っていたピアノ教室の先生はとても怖い人だった。練習不足や私の集中が切れていることに気づくとすごく叱咤されるし礼儀作法にも厳しい人だった。先生は私の手を嫌がった、オクターブ届かない私の小さな手では弾ける曲が限られてくるから、先生はよく私の手が開きやすくなるようにと大人の力で私の手を力いっぱい広げてくる。無理やり手を引っ張っているのと一緒だから痛くて千切れそうな感じがするのを嫌がる私に「あなたには必死さが足りない。」とさらに怒られるのがいつもの流れだった。

24年間生きてきて、本当にうまくいかなかったことってなんだろう。勉強も運動も得意ではなかったけれど、ある程度普通の高校にも進学したし、運動も中の下くらいにはいることができたから私の中では納得していた。たいして好きでもなかったし。
ちゃんと特技もあった、音楽の成績は常に5だったし手先が器用だったから細かい作業はなんでもできた。お菓子を作ったり、フルートも得意だった。先生や近所の人、所謂大人たちにも好かれやすかった。恋愛や友だち関係でどうにもならないくらい困ったこともなくて、私の中でうまくいってほしいことはこなせていたからパッとうまくいかなかったことが思いつかない。私の人生はこんなものでよかった。

けど去年はそうじゃなかった。どう頑張っても、変わろうとしても、足掻いてもどうにもならなくて
お金をかけても時間をかけても変わらないものは変わらないことがあった、しかもまるで坂道を転がり落ちるように悪くなる一方。本当に笑えるくらい報われなかった。

先生の言う"必死さ"ってなんだったのかな。
今になって私の必死には何が足りてなかったか教えてほしいです。なんて言うときっと「まだ甘えたこと言ってるんか!」とまたあの頃のようにものすごい怒号で怒られるような気もする。
頭で理解していて自分でも分かっていてるくせに分かっていないように振る舞う時があるように、気づいているけれど認めたくないなんて小賢しいことを考えていることさえ、先生は一瞬で見破ってしまうと思う。
先生は確かに厳しい人だったけれど、私のことを気にかけてくれていた。学校で友だちとうまくいかなかった日も、心無い言葉を引きずっていた日も、私の強がりを見破って家族や学校の先生よりも先に気づいてくれたのは先生だった。
幼稚園から続けたピアノ教室は、辞める頃には相変わらず手は小さかったけれど先生が力一杯広げてくれてたおかげか指を広げやすくなっていてオクターブがギリギリ届くようになっていた。

先生はきっと諦める前にやれるだけのやりなさいということ言いたかったのだと思う、なんて先生のことを分かったつもりで答えのないことを考えている暇があるなら諦めようとするのはやめよう。生きている間に必死にならなきゃ。今では弾けない乙女の祈りを聴きながら昔あったピアノ教室の前を通り過ぎた。

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