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お金に愛されていないと思っている乙女たちへ

今までも何度か考えを巡らせたことのあるテーマ、「お金」。


最近また考える機会があった。


そして考えてみたら、
いくつかの誤解を抱えていることに気づく。


まだ自己価値を信じきれていない
自分にも再会する。


だから、今日も
祈りを捧げることにする。


同じ思いを抱えた乙女たちが、
少しでも楽になることを願って。




私たちは既に価値があり、
愛すべき存在。


それをいま一度、
思い出してほしい。


お金をたくさん稼いでいてもいなくても、
それはあなたの価値とは関係ない。


自分はお金に見合う存在だと、
お金を稼げる存在だと、
証明しようとする必要もない。


私たちの価値は、
お金で測りきれるものではないから。


私たちの価値を決めるのは、
お金ではなく私たち自身。


だからあなたには自分の価値を
ちゃんと理解してほしい。


気づいてほしい、
あなたの価値に。


私たちの人生は、
私たちのためのもの。


お金のためでも、
お金にコントロールされる
ためのものでもない。


私たち一人ひとりが
楽しく生きるためにある人生。


お金はそれを
サポートしてくれるパートナー。


私たちと彼らの間に、
上も下もない。


私たちがお金に万能感を覚えるとき、
自分たちを下に見てはいないだろうか。


私たちにも同じくらい価値があり、
力を秘めているということを忘れて。


いつからか当たり前として
脳みそにこびりついた、
「お金持ちはすごいし、偉い!」
という古い迷信を真実だと信じて。


乙女、イカオンドクセヨ!


私たちは既に価値があり、
愛すべき存在。


お金を稼ぐ力や持っている量は、
私たちの価値とは関係ない。


お金の方が上だという考えを書き換えて、
彼らと対等な関係を始めよう。


私たちは今のままの自分で
十分愛される価値がある。



私はつい最近まで、
お金を稼げないと自分には
価値がない
と思っていた。


私はコロナ以降、
会社員を卒業して、
意図せずフリーランスに転向した。


5年目に突入した今の生活。
まだまだ自分の満足のいく
収入には手が届かず、
私は何をやっているんだろうと
心が暗闇に引きづられていくことがある。


私のやり方がおかしいんだろうな、
みんなは上手くやってるのにな、
もっとガツガツしていたら、
もっと戦略的だったら、
なんで自分はそうじゃないんだろうな、
そんな灰色の思いによく襲われる。


お金と私の価値は関係ないと言ったけれど、
そしてそれは本当の話だけれど、
生活に必要なものではある。


お金があると選択肢が増える。
でも、ないと出来ないことが増える。


自分の生活が出来ないことだらけになると、
「なんでこんなことにも手が届かないのか」と
惨めな気分になったりする。


周りの人の生活が
キラキラして見える。


比べると劣る自分を見て、
満足のいくように
稼げていない私には価値がない
という誤解が醸成されていく。


さらには、
自分には価値がないと思っているので、
自分はお金に見合う存在ではない
と無意識に考えていたことに気づく。


価値の低い私
Il
お金に劣る私
ll
お金を受け取るに値しない私


私<お金


これぞ呪いの図式!


無意識に生成されていたから
これまた恐ろしい。


これゆえに、
お金に怯えながら、
お金に自分を証明しようと
していた私がいた。


お金に見合うようにならねばと、
一生懸命働いたり。


「私はこんなに
一生懸命働いているんだから、
あなたを受け取るに値するよね。」


「気乗りのしない仕事も
仕事だから、頑張らないと。
だってそうしないと、
お金に嫌われちゃう。」


「嫌われたら見捨てられて、
貧乏になってしまうし、
やりたいことも
できなくなってしまう。」


などと心の奥でひどく懸念して。


相手の顔色を伺う姿勢は、
幼少期の私の母に対する態度であり、
自分を証明しようとする姿勢は、
以前記事にもしたパートナーへの態度と
同じだと思った。


そう思うと、
お金も人間関係と同じく、
お付き合い(パートナーシップ)
なのだと合点がいった。


私はパートナーに対して、
「私ってこんなにすごいんだよ、
頑張ってるんだよ」と
自己肯定感の低さから
疑われてもいないのに、
懸命に自己主張していた。


パートナーや子供のために
尽くしすぎてしまう現象と同じく、
相手に嫌われないようにと、
お金のために働いていた
(尽くしていた)。


無価値であることがバレないように
と懸命だった。


だけど、私たちとお金は対等。


お金とは無関係に、
私たちは既に価値ある存在。


だからそんなに尽くそうと思わなくとも、
私は私のままで十分なのだった。


私たちは相手(お金)の顔色など気にせず、
自分のために振る舞って大丈夫。


私たちは自分に向かって
価値を証明し続けたら良い。



さて、ここで大切なことを2つほど。


一. 時間や経済的な制限があっても、
自分がワクワクする時間を持つこと。


お金を稼ぐための仕事は、
資本主義という社会で暮らす上で
大切なものだけど、残念ながら
私たちの心身の健康や
幸せへの配慮は乏しい。


ここで繰り返す。


人生はお金のために
あるのではなく、
私たちのためにある。


だから収入源は確保しつつ、
必ず自分の心が踊ること、
やってみたい、
行ってみたい、
食べてみたい、
そういう欲求を満たすことに
時間を使ってほしい。


そうでないと、
あなた<お金
のままになってしまうから。


お金中心(他人軸)の人生ではなく、
「自分軸」であなたのための人生を
歩んでほしい。


二.「ない」ではなく、
「ある」に目を向けること。


私たちは、「もっとほしい」と
永遠に思い続けられる。


欲求を持つこと自体は健全だけれど、
私はもって「ない」状態で欲を持つと、
欠乏感や不幸感に苛まれる。


私たちがお金を求めるとき、
不幸になりたいとは思っていないだろう。
ちゃんと幸せを感じられるように、
今に満足できる心を養うことは
大切だと思う。


(最近、エルヴィス・プレスリーの
生涯を描いた映画「エルヴィス」を観て、
お金があるから幸せになるわけではない
とつくづく感じた。)


だから「ある」に目を向けるよう、
心がけてみてほしい。


考え始めると、
意外に持っていることに
気づくと思う。


私も実際に書き出してみたら、
思っていた以上に色々やれているし、
もっていることに気づいた。


妊娠すると、
世の中の妊婦ばかりが
目に飛び込んでくるように、
意識し始めると「ある」に
目がいくようになる。


「書き出してみる」はおすすめだ。



お金は私たちのやりたいことや
叶えたいことの実現を
手助けしてくれる存在。


お金があれば、選択肢も増える。


とっても魅力的な存在だけれど、
だからと言って私たちは
お金を崇める必要はない。


私たちは既に十分で
愛される価値があり、
お金とは対等な存在。


私たちは、お金に対してもまた、
存在価値を証明する必要はない。


やりたいことがあるのなら、
それはやった方が良い。


叶えたい望みがあるのなら、
それは叶えた方が良い。


すぐには叶わなくても、
それを諦める理由にする必要はない。


別のやり方が現れたり、
タイミングが味方してくれるときが来る。


そのために今のあなたに出来ることは、
どんなに小さな一歩だとしても価値がある。



あなたのやりたいことは
なんだろう。


心が躍り、
一日の始まりが
待ち遠しくなるようなことは。


幸せを感じることは?


思い浮かんだものを
できる範囲で、
自分に与えてあげよう。


私たちは既に価値があり、
愛すべき存在。


あなたがワクワクしたものには、
お金には変えられない価値があることを
覚えておいてほしい。





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