【読書】デジタル・シティズンシップ
こんばんは。育休中教員のmiiです。
先日、YouTubeのさてさんの動画で気になった『デジタル・シティズンシップ—―コンピュータ一人一台時代の善き使い手を目指す学び』を実際に読んでみました。今日はこの本で学んだことをまとめたいと思います。
デジタル・シティズンシップとは?
文科省ではシティズンシップ教育を主権者教育と呼んでおり、シティズンシップ教育はデジタル・シティズンシップの土台である。
デジタル・シティズンシップ教育は、コンピュータの善き使い手とともに、社会の良き担い手になることを目指す教育である。
「デジタル・シティズンシップ」の考え方を広めたのはアメリカの国際教育テクノロジー学会(ISTE)だそうだ。現在では世界中に広がっている。日本では情報モラルに似ているが、基本的な考え方が違う。
情報モラルとデジタル・シティズンシップの違い
デジタル・シティズンシップは何よりも子どもたちの責任感や合法的で倫理的な行動を中心においている。
デジタル・シティズンシップの教材は生徒に自分で考えさせることが目的であり、一方情報モラル教材は「スマホ依存は悪」という価値観を教えることが目的だといえる。
(デジタル・シティズンシップ教育の指導者は)指導者自らICTを前向きに使いながら、模範的な言動や態度をとることが求められる。そして、答えが出せずとも問題に対してクリティカルに考え、対話をし続けることが大切であると学習者の背中を押し、たまにはゆっくり考えようか、と学習者と一緒に立ち止まり、オープンエンドな学びを促す。
つまり、デジタル・シティズンシップ教育では、子どもたちが考えることが目的であり、考えることによって問題を自分ごとにしている。情報モラル教育のように価値観を教えることよりも、子どもたちがより能動的に考えることに重きを置いている。
私たち教師は、気を付けていたとしてもついつい教師の考える正しい答え(価値観)に子どもたちを誘導しがちになってしまう。児童が間違った方向に進まないように。悲しい思いをしないように。情報モラル教育においては、児童の生活に直結する問題のため、よりその傾向が強くなるのだと思う。
でも、デジタル・シティズンシップ教育では子どもたちの考える力を信じて教育していく。最後のまとめ、選択も児童に委ねる。他教科でもオープンエンドな学習は行うが、子どもたちの自由な考え、発想を生かしたい場合に限定している気がする。でも、子どもたちの考える力を信じ、それを伸ばしていかないと、子どもたちが賢く利用しているとは言えないのだということが分かった。
デジタル・シティズンシップ教育と社会問題
1,個人情報について
情報モラル教育における個人情報の取り扱いは、軽率な(本人の)行動によって個人情報が流出し、それが悪用され(善用例は省かれる)、本人が経済的被害を受け、あるいはストーカー等のトラブルに発展することがあるといった「個人の被害」を強調することに主眼が置かれる。 (中略) こうした指導自体は特段悪いわけではないが、個人情報が期せずして漏れてしまった後に、我々はどのようにふるまうべきか、どのように対処すればいいのかについての学習に至らないケースが多い。 (中略) 情報モラル教育では被害回避として「ルール作り」を実践することが多いが、なぜ、そのルールを作るのか、そのルールは合理的か、といったコンセンサスを得る作業(話し合い、議論)が不十分か、省略されてしまっている。
デジタル・シティズンシップ教育では、このようなルール作りを行うにしても、そのルールを検討し、選ぶ過程を大切にしていることが分かった。
2,著作権について
著作権を保護するための法律である著作権法の最大の目的は「利用制限」ではない。むしろその逆で、著作権を保護し、著作物の公正な利用を促進することによって文化の発展に寄与することである。
著作物を保護するために最も重要、かつ、単純明快な「作者に了解を得る(許諾を得る)」という手段が忘れられてしまうのである。
教師自身が、他者の著作物の利用に関して臆病になり、また、児童に他者の著作物を利用させることについてはもっと臆病になっていると思う。作者の了解を得て積極的に利用することで、作者の思想や感情を世に広めていく。その作品からさらに想像力を搔き立てられて良いものを生み出していく好サイクルにしていくためにも、著作物の扱い方を指導していくことが大切なのだと分かった。
デジタル・シティズンシップの実践例
本実践例は、デジタルジレンマを題材に、多様な立場、価値観、利用環境に配慮しながら、前向きで実行可能な対処方法と必要な準備(とその理由)を考える流れとなっている。
本書では4~6年向け、中学校向けの指導案が掲載されている。授業の流れを読んでみると、授業の前半部の導入~展開の中盤まではこれまでの情報モラル教育と似ていると感じた。「登場人物の状況を把握する」「困っている状況に対する対応を考える」という内容はこれまでの情報モラルでも行われてきている。しかし後半部で行われる「対応策へのメリットデメリットについて整理する」「対応策のデメリットに対する対処法を議論する」まで行動を落とし込んでいるところが違っていると思った。より実行可能な案をみんなで模索するというところがデジタル・シティズンシップ教育で重きを置いているところだからだ。
そして最後のまとめで自分事としてどの対応策を選択し行動するか、それが実行可能か考え、具体的な準備をまとめている。デジタルシティズンシップ教育では、価値観を教えるのではなく、実行可能な案を考え行動に落とし込むことで使える知識技術にしているところに感銘を受けた。
まとめ
デジタル・シティズンシップでは、多様性へ配慮する「寛容さ」を学んでいく。
「多様性」というキーワードは先日読んだブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』とも繋がる。デジタルで今までよりも広い世界と、低年齢からつながる社会にいる児童たちにとっては、小さい頃からより意識を高めていかないといかない。それを授業でも授業外でも取り入れていこうと改めて思った。
そして、先生たちは、利用してほしくないのではない。賢く利用してほしいのだ。賢く利用して幸せに暮らしてほしい。というメッセージは繰り返し伝えていきたい。
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