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赤いものを贈りたかった
クーラーを付けたまま寝てしまう夜が続いていて、今日はクーラーを消して寝ようと、私としてはとても早く、日を跨ぐ前に就寝。
そして、目覚めた朝4時はとても汗だくだった。
やっぱりクーラーは必要みたいで、扇風機の方がいいのかと思うけど、結局今年もこのまま過ごしてしまいそう。
今日はお休みで、午前中に病院へ。
貧血が発覚してから月に一度は通っている。
今日も採血をして、先生と結果を見てお話し。
なかなかに酷い貧血状態からは、いまは戻ってきた模様。とはいえ、薬で補給しているだけだから根本的に解決したつもりはない。
動いた後に息切れがあることを伝えると、
いまの息切れは、鉄分の量からみて恐らく根本的な体力不足によるものだ、と言われた。それはまあ、きっとそうだろう。全く否定できない。
そうだそうだ、体力づくりも課題だったと思い出した。
そして、そのまま友人と天神で待ち合わせをして、バスと船を乗り継ぎ、福岡の西、能古島(のこのしま)へと向かった。
能古島に行くのは記憶がある中では初めてで(幼い頃に行っている気もする)、お花がいっぱい見れるから行こう!という、1週間前までの話はこれだった。
アイランドパークというお花畑が並ぶ場所が島にあるのは確かなのだけど、乗船場からそこまでのバスが1時間に1本。お昼を食べていたらバスのタイミングを逃して、帰りの時間などを考えた結果、アイランドパークを諦め展望台まで歩いてみよう!ということに。
地図上では、割と近いように思えた展望台までの距離はなかなかで、舗装された道路を歩いてはいるものの、随分と山の中。何度か通り過ぎるバスの運転手さんや乗客の方に「この子たちはなんでここを歩いているのだろう」という視線すらもヒリヒリ感じた。
でも、私は山がとても好きで、20歳過ぎから5年ほど毎年スタッフとして参加していた子どもキャンプのことを思い出して懐かしく思ったし、一緒に行った子も山が好きだったようで、互いに数ヶ月できていなかった近況報告をしながら、まだか〜!!と叫びながら、セミの鳴き声をBGMに、たくさんの蝶々やみみずに遭遇しながら、ケラケラ笑いながら楽しく登っていけた、往路1時間以上。
やっと辿り着いた展望台は想像を超えて上の方だった。年にどのくらいの人がこの場所に辿り着くのかはひたすら疑問に思った。
展望台から一望できる景色は、残念ながらなかなかに霞んでいたけど、がんばって登った分、とてもとても気持ちがよかった。
(写真は上手く撮れなかった)
帰りの下り道は、足を止めることができずひたすらに下っていった。歩みを止められず、逆にそれがしんどいのに、きつい〜!!と、また叫びながら、それはそれで楽しんでいた。
ただ2人とも、偶然にもALL STARを履いていて、全く登山には向いていない靴だから、足は非常に疲れ果てた。
だって、登山をするつもりはなかったのだから。
帰りの船で友人は爆睡。
そのあとのバスでは2人とも爆睡。
そして、疲れ切った脚を引きずって、
おいしいご飯を食べて解散。
ひと夏分の運動をした。
体力不足を通告されたその日に、こんなことは想像していなかったけど、今日は当初いろいろと予定していた選択とはどれも違ったのだけど、それもどれも結果楽しめた。
ほんとうに楽しかった。
けど、ほんとうに疲れた。
下山途中、友人のおばあちゃんが、
今日8月21日が、88歳の誕生日なのだという話になった。
実は、私のお母さんも生きていたら60歳なんだと話をした。
お母さんが逝ってから、毎年どんなふうにこの日を過ごそうか、近づくといつも考えていた。私にとって、とても大切な日だからだ。
今年はこの友人と過ごせて、とても楽しかった。
おばあさまと同じ誕生日だなんて、シンパシーも感じた。
生きていたら、、なんて言うのは違うのかもしれないけど、60歳を迎える年だったのだと思うと、ひとつの還暦という節目を考えさせられる。
赤い何かを贈りたかったな、きっと似合っただろう。
お誕生日おめでとう。
今日も私はお母さんが大好きで、
変わらずに逢いたいよ。
でも、もらった私の人生を
今日も楽しく過ごしているよ。
いつも、今日もありがとう。
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