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5年が経った私の3月9日。

約1ヶ月の出張から帰ると、ポストには日々少しずつ重なっていったに違いないチラシが詰め込まれていて、その中から重要な書類を探し出す時間がいつも億劫ながら、家の更新に関する書類を見つけた。

もうすぐ、一人暮らしをはじめて4年が経つのか。
いまだに一人暮らしに慣れた気がしていない私は一体何なんだろう。(出張などを挟むと実質3年間しか住んでいない説は濃厚。)

一人暮らし希望は23歳ごろの頃からあった気がする。それまではずっと実家で、言っても市内で中央区へ通えない距離でもなかったけど、終バス、終電が割と早いことや、自分の部屋はあってないようなもので、当時一緒に住んでいたお母さんおばあちゃんのことは好きだけど、単純に「自分だけの居場所」がほしかったような。でも、いま振り返ると、“いまの(私の)生活スタイルでは一人暮らしはムリだ“という母の言葉に、簡単に折れていたので、そこまでの希望もなかったのかもしれない。その母の言葉も、きっと寂しかったのではないかとすらいまは思うけど。

それから、母が2015年に他界し、翌年の5月、私は一人暮らしをはじめる。

それまでは、おばあちゃんと二人暮らしが続いていたものの、帰りのバスで寝過ごし、朝は起きれなかったりでタクシーにお世話になることが日を追うごとに増え、往復2時間かける通勤には限界を感じていた。また、仕事から帰宅してから余裕がなかった私は、1日家に1人でいるため、話したいことが募っているおばあちゃんの話を、ゆっくりと聞いてあげる優しさが持てなかったし、おばあちゃんにキツく当たってしまうそんな自分もとても嫌いだった。

とはいえ、70を過ぎたおばあちゃんを1人ぼっちにさせることに気が引ける部分もあり、けど、だとすると、私が一人暮らしすることは、不謹慎だけどおばあちゃんに何かない限りないのでは?そんなことも思うようになっていた。
そして、先に家を出て、福岡を離れているお兄ちゃんや弟に対して、どんどん“ズルい“とも思いはじめた。お兄ちゃんに気持ちを話した上で、(うちは、私が中学3年生のころに親は離婚して、母の方に兄弟3人で付いていったので父はここには出てきません)私は意を決して、おばあちゃんに一人暮らしをしたいことを話した。おばあちゃんはやっぱり寂しそうだった。「寂しいけど、これから先、おばあちゃんのせいで美穂に後悔してほしくないから」と正直な気持ちを伝えてくれて、2人でちょっと泣いて、月に1度は会おうねと決めた。そして、福岡の街中、職場へ徒歩圏内の場所で、私は一人暮らしをスタートさせる。

あれから、もうすぐ4年。

そして今日、3月9日で、お母さんとお別れしてちょうど5年が経つ。

この前の誕生日に、私は、母が出産した年齢になった訳だけど、その前にお兄ちゃんを産んでいたし、私の後にも弟が生まれて、確かに、書き始めると止まらないほどにいろんなことはあったけど、本当に逞しく育ててくれたなとよく思う。私もよく言われる言葉ではあるけど、とってもパワフルだった。
5年が経って、やっと気づけたことがある。ずっとそうあってほしいと思っていた(願っていたに近い)20代前半の私は、病気を患っているお母さんの弱さを受け止めて、パワフルじゃなくても大丈夫だよと言ってあげられるほどの心を、まだ持ち合わせてなかったな。ごめんね。まだまだ、自分が甘えたかったんだと思う。でも、最後、お母さんの強さに存分に甘えさせてもらったことには悔いはない。二十歳過ぎてからではあるけど、すごく、”子ども”をさせてもらったと思ってる。だから、好きなことを変わらずに追って、好きでい続けられた。それがいまに、繋がっている。

そうそう、他界した次の週末に、鶴が福岡にイベントで来ることが決まっていて、もちろん行く訳もなく、ファンになってはじめて、鶴の福岡でのライブに行けなくて、ソウルメイトに手紙を託した記憶。鶴とも一番距離をあけた時期だった、私にもそんなころがあった。
そのころのことは、「わたしと鶴 vol.1」の『わたしと鶴とお母さんと』に綴っている。



私たち兄弟は3人とも、今も元気にそれぞれの道で、ときには助け合いながら、楽しんで生きているよ。おばあちゃんとは、おいしい晩ご飯を食べに、今日博多に集合したよ。いまは、シルバーヘアのショートカットにしていて、とっても似合ってるの。部屋に飾ってある写真のお母さんの目が、いつもじっと見てきて怖い(笑)と言っていたよ。お母さんのくっきり二重は、お兄ちゃんだけじゃなくて、私にも分けてほしかった。おかげで、笑ったら、私の目は線になるよ。

なんでもないことを、話したいな。

また、話しかけるね、きっといつもいてくれるでしょ。



まだ、5年? もう、5年?

お母さんのいない私の5年が確実にあって、
それが、これからも増えていくことはやっぱり寂しい。
これはずっと、ずっとそうなのだけど、だって、いてほしかった!
と、駄々をこねてもいいのが命日だと思っています。

ああ、なんだか、文章を書き上げることができなかった日が続いていたけど、やっと書けた。お母さんありがとう。


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