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思い出した大好きだったひと 2

カカの話の続き。

一昨日、カカのことを書き始めて、昔を振り返り出すと、あれもこれもと芋づる式に思い出が溢れてきた。自分の愛がすごかった。

もちろん、カカのことを人として忘れたなんてことはなかったけど、もうここ何年もサッカーからは離れていたし、数年前にカカも引退をした。

周りにサッカー好きな人はいるし、私もサッカーはいまも好きだけど、胸を張れるほど、日本代表さえも全く観れてないし追えていなさすぎて、サッカーを好きと公言するのも申し訳なくて。隠しているつもりは特になかったけど、最近は、話すこともなかった。


そんなことをしていると、ここまで改めて振り返るタイミングはやってこなかった。いま非常に驚いていることは、私が熱烈に好きだったころからもう10年以上も経過していること。それと、もうひとつ気づいたことは、私が、好きなものに対する熱量と愛の捧げ方と真摯さは、10年以上前と何にも変わってなくて、そんな自分が可愛くって、安堵した。

私は中学生のころにTwitterを始めたのだけど、
アカウント名はいまも変わらず「@mihox22」(noteのIDもこれ)。
この「22」という数字は、私のほかのSNSのアカウントや各アドレスにも付いていたりするのだけど、もはや何も恥ずかしくもないので公表すると、これは紛れもなく、カカの、ACミラン時代の背番号が22番だったからに他ならない。この数字はまるでお守りのようで、いつも、何かと付けていた。

私は「2」という数字にとても縁があると思っている。自分の誕生日は2月4日、兄のあとに生まれた2番目。カカのあとに惚れた日本人のサッカー選手は「21番」を背負う人で、鶴も数字で書くと「26」と表せる。いま働いている会社はDuaというのだけど、これはインドネシア語で数字の「2」を意味する。
「2」への愛着が、それはもうすごいのだけど、それに気づいたのは確か、彼の背番号が発端だったと思う。

好きな数字は即答で「2」。

お店やさんなどで数字を選ぶシーンがあるときは、基本「2」があるものがいいし、ほか関連ある数字を選ぶ、それはもはや自然でもある。
いや、いまは「26」が一番かなやっぱり、時は流れている。


今回、カカのことを書くにあたって、ググっておきたいことがあって、検索をかけると、2020年にupされている、とあるニュース記事が目についた。

私が敬愛していたカカは、ACミランにいる最中に、とても急にスペインリーグのレアル・マドリードへの移籍が発表された。これはミラニスタが本当に驚いたニュースだったし、突然の悲報で理解できなかったし、私はとても落ち込んだ。もちろん、どこに行ってもカカはカカだけど、あのころのミランはすごく空気感がいいように見えたし、とても楽しそうにプレーをしていて、赤黒のストライプのユニフォームではない彼を見たくなかった。きっと、あんなにもミランを愛していたカカが望んだ移籍じゃないとは思っていた。けど、そんな声明が本人から出されることもなかったので、本当のところはわからない。カカはこの移籍を望んだの?という疑問が浮かんだ。
きっと、チーム同士のお金絡みのことに巻き込まれたんだ、そんなことは、ほかのチームや選手でも残念ながらよく噂になっていたし、実際に起こりうること。スポーツであっても、ビジネスなんだなと思わせられることもある。
正解も分からない、あのころの行き場のない気持ちをいまさら思い出して、書きながらモヤモヤが再燃している。

そう、そして、さっきの記事。
当時のカカの代理人が、あの移籍について話している。

「真実を言うと、カカもミランを離れたくなかったんだ。彼も、彼の家族も、ミラノに満足していたからね。しかし、クラブは彼を売り出さざるを得なかった。そして当時のレアル・マドリードは、売却先としては最高だったんだ」

私たちの大まかな予想は、当たっていたのだ。

けど、当時、少なからず裏切られたような気持ちになってしまって、悲しい思いをした。
これは数年越しの答え合わせ、あの頃の私をやさしく癒してくれる内容だった。ミランを好きでいてくれてよかった。カカはカカだった。


カカはブラジル人で、当時はヨーロッパのチームでサッカーをしていた。当然、基本はヨーロッパで試合なのだけど、私は一度だけ、この目で、彼が出る試合を見に行ったことがある。場所は横浜・日産スタジアム。

懐かしすぎて、どうしよう
この話は次回。

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