アクセサリー作りを始めて10年。今までもこれからも作り続けて生きていく。
アクセサリーは買うものですか?作るものですか?
私はどちらもありますが、いまは割合的に3:7と作るほうが優勢といったところ。
私にとって、《アクセサリー作り》は趣味でもあり仕事でもあり、いまや自分を説明する上で欠かせない要素の1つです。
作りはじめて早10年。ある理由からこの1年はめっきり作らなくなってしまったのですが、この夏、製作を再開することに決めました。
このnoteでは、そこに至るまでの道のりを初めて書き出してみたのですが、自分の根底に長年あった製作欲を知って、ちょっとおどろきがありました。
いまの私には、アクセサリーを作ることがすっかり当たり前で、”作ることが好きだ”という認識はずっとあれど、昔からの製作欲なんて、正直意識もしなければ忘れていました。
でも、辿ってみればそこにはちゃんとルーツがあって、長い間、私なりの表現を続けていたことに気付かされたのです。
幼少期からの製作歴
小さなころから、よく"なにか"を作っていました。
小学校の家庭科で自分の裁縫セットを手に入れミシンを覚えれば、家にあったジーパンをショート丈に切って、バッグへとリメイクしてみたり、紙粘土に絵の具を混ぜてちまちまと丸め伸ばしては、ドールハウスに並ぶような、パンやフルーツなどを、一人でせっせと作っていました。
また、2000年代、平成の歌姫・浜崎あゆみ様によって、世間でキラキラぷっくりとした3Dネイルアートが爆発的に流行ったときには、分厚いネイル雑誌を購入しては熟読し、ラインストーンやホログラム、ラメラメなマニキュアなど、必要な材料をお小遣いで一通り買い揃えては、可愛いネイルチップ作りに勤しんだ。(写真も実物も残っておらず残念…)
ちなみに、これは中学生のころの話なので、チップは付けることもなく観賞用。友達にプレゼントすることはあったけど、自慢するわけでもなく、ただ作ることで大満足。
あとは、カード作りも大好き(いまでも好き)。誕生日や母の日・父の日などに作って贈ることが我が家の風習であったけど、お兄ちゃんと弟は小学生のうちに早々と離脱。私だけは、成人してもずっと作り続けていたし、サボることがあればお母さんに催促された。その流れで、消しゴムハンコの技術も身につけた。
こう書き出していくと、いろんなものを作ってきた子ども時代。お母さんがあらゆるハンドメイドに関してそれなりに興味や知識を持ったひとだったのか、私の”作ってみたい”衝動のままに作り始められたのはとてもラッキーだったと思う。そうだ、消しゴムハンコも、先に作っていたのはお母さん。
手芸の王道〈編み物〉にも、もれなく手を出した。かぎ針編みはコースターサイズ程度には編めたけれど、そこから続くことも派生することはなく。また、編むさまが魅力的な棒針編みにも懲りずに挑戦するも、どうにもこうにも、編み進めることはなく、こちらは序盤で手放した。数年後に再チャレンジしてみるも、それでもやっぱりできなかった。(悔しいので、まだ諦めてはいない。)
自分のこれからを考える
行きたかった大学に落ちたことをきっかけに、高校卒業後は、浪人はせずにアルバイトをしつつ 「私が本当にしたいことは何か?」「私はこれから何かしていくのか?」を改めて考える時期とした。
それまでに長く夢見てていたことが、なんだかよく分からなくなっていたのだ。「やってみたいことを手当たり次第やってみる」モードに切り替えた。
いまでは、仕事として関わっているバンドのライブに行き始めたのもこの頃で、福岡以外にも関西〜関東のライブに行くようになった。
また、個人的にもアコースティックギターを練習してみたこともあったし(即挫折)、憧れの服飾専門学校の入学資料を取り寄せてみたり、友人に誘ってもらった子どもボランティアの活動にも積極的に参加していた。
ハンドメイドアクセサリーを自分で作りはじめたのもこの時期だった。
アクセサリーを作ること
こうして経験を重ねていく中で、ビーズ刺繍や、素材を組み合わせて作るアクセサリー作りは、自分にすごく合っているなと思った記憶がある。
頭の中のイメージが、指先を動かすことで完成する、手のひらの中で形になる。こうやって、私自身の感覚を小さなアクセサリーひとつに詰め込むことができることは、とっても心が満たされることだった。また、それを周りのひとにほめてもらえたり、喜んでもらえることも、理由として大きかったと思う。
いまでは、まだマシになってきたけれど、特にこの頃は、月日をかけて積み重ねていくような作業がほんとうに苦手で、満足感を早く得たい私にとってみれば、編み物をすぐに手放してしまうことも納得できた。きっと、アクセサリーとは違い、手に負えない、途方もない作業に思えたのだと思う。
あれやこれやとやってみた結果、『自分でブランドをもって、アクセサリーを作っていこう!』と、決めたのが2014年ぐらいのこと。いまも使っている『Because you are』というブランド名も決め、「Creema」「minne」といったハンドメイドサイトも徐々に盛り上がりはじめ、ハンドメイドブームの訪れをひしひしと感じていた時期でした。
Duaとの出逢い
”アルバイトをしながら、アクセサリーをオンラインで販売をしていこう”
当時、これからの人生にそんなイメージを持っていました。また、それまでのアルバイトも一新したいな〜と思っていた矢先、求人情報誌で、《Dua》というアクセサリーパーツショップのオープニングスタッフ募集を見つけます。
2つ前の記事でも紹介した、福岡・薬院にあるお店です。
その名の通り、アクセサリーのパーツ(ビーズ・チャーム・ボタンなど)を販売するお店。スタッフはアクセサリー製作も行います。
驚くほどに業務内容も立地も雰囲気も、見事に私の理想どおりの募集内容。面接では、当時作っていたアクセサリーを見ていただき、これからはここでアルバイトとして働きながら作家活動をしていきたいことも伝え、無事に採用。
Duaでお仕事がはじまると、数ヶ月後には当初の予定から変わり、私は正社員として店長となり、さらに、その2年後には姉妹店も数店舗増え、ゼネラルマネージャーになります。
何を隠そう、お店を育てていくことがどうにも楽しく、私自ら仕事に惚れ込み、打ち込むようになりました。性に合っていたのです。
お仕事の中で、店頭に並べるアクセサリーや、お客様のオーダーアクセサリー製作は毎日のことで、自宅では、仕事中に身につけるアクセサリーを、日々自分好みに作っていました。
また、年に一度のアニバーサリーイベントでは、スタッフのハンドメイド作品展が行われるので、そこでは自分のブランドを用いて必ず出展しつつ、知人から個別でオーダーをいただければ、よろこんで引き受けていました。
「アクセサリー作家」とは?
こうして、”アクセサリー作りたい欲”はそれなりに満たされつつも、入社当初に考えていた、”働きながら作家活動をする”という思いは、いつからか、頭の端っこで小さくなっていました。ほかにも仕事をはじめたり、こうして文章を書くことも好きな中、どんどん優先順位が下がっていったのです。
また職業柄、数多くのすてきなアクセサリー作家の皆様にお会いし、一緒にお仕事をしてきました。身近にも尊敬する方々がいる中で、"私ぐらいの熱量"で作家活動をすることが、熱量高く向き合っている方々に対して失礼なように思い、どこか申し訳なさがありました。リスペクトするがゆえ。
誤解がないよう補足をすると、一言で「作家」といえど、大きく幅があっていいもので、それは各々のスタンスの話。他の方の活動に関しては一切どうこう思ったことはないです。
むしろ、もし同じように悩んでいる人がいたら『優先順位低くたって、やってみたいなら、熱量があるなら、とりあえずやってみればいいのに!』と伝えると思います。
でも、このときは、不思議と自分にだけは許可が出せなくなっていました。これはDuaを卒業し、フリーランスとなっても、変わらずに思っていたことでした。
約1年ぶりにアクセサリーを作ってみたら
今年の7月に開催された、Duaのアニバーサリーイベント内のスタッフ作品展では、卒業後ながら、ありがたいことに継続して出展機会をいただき、せっかくだから久しぶりに作ろう!と製作に励みました。
また、8月中盤には、幼稚園からの幼なじみから連絡をもらい、ウエディングピアスのオーダーを引き受けました。大切な節目のお願い自体うれしいのに、それはそれは、とてもよろこんでもらえて、私までしあわせな気持ちにさせてもらいました。
そして、久しぶりに作ってみると、やっぱり楽しかった、好きだった。
澱みのない心地よさに満たされて、ようやく、あたまの中がすっきりしました。
私は、アクセサリーを好きで作っていて、ありがたいことに、私が作るものを好きだと言ってくれるひとたちがいます。そのひとたちがいるなら、作り続けていいのでは?と思えたのです。
それがどんな熱量でも、趣味でも、片手間でも、逆に人生を捧げたって、ね。
これからのこと
誰かがぼんやり想像するアクセサリーを、私というフィルターを通して形作る〈アクセサリーオーダー〉が私はとても好きです。これから、たくさん受けていきたい気持ちがあります。
ただ、『アクセサリーを作っていることを発信をしないと、私がいまもアクセサリー作っているひとってわからないな?』という、当たり前のことに気づいてしまったので、ひとまず《アクセサリーを作るひと》という看板を掲げる意味でも、アクセサリーを作り、販売しつつ、発信も続けていこうと思います。私のペースに則って。もちろん《言葉を綴るひと》という看板も大きく掲げながら。
人生なんて変化だらけなのだから、これからだって、そのとき、そのときで、気持ちも優先順位も状況も変わることでしょう。こんなに綴っておいて、アクセサリー作りにすぐ飽きるなんてことがあるかもしれないし。そんな変化もまた面白がっていきたい。
ただ、ここまできたら、ずっと何かしら作り続けていく人生なのだろうとは思っています。だって、私にとって、作ることは大切な表現の1つだから。さすがに、子どものころからの私が証明している。
数々のきっかけをくれたお母さんに、改めて感謝したい。そんな人生でうれしい!!
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