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7回目の母の命日のあと、二十歳に受け取っていた手紙を読んだら、人生のお守りになった

今年も3月9日、お母さんの命日を迎えました。
私が25歳のときに会えなくなってから、もう7年が経ちます。
享年55歳でした。

20代半ばから30歳が私にとっては激動と激変の時代。そこにはもうお母さんはいなかったということに、未だに不思議な気持ちになります。あれほどロングヘアーを貫いていたのに、さっぱりと髪を短くしては毎月のようにコロコロ色もスタイルも変わっていく時代の私を、一切知らないままなんだな、と。

日頃気にはしていないけど、「7年前」という数字や、この「7年間」を振り返ると、出来事は溢れすぎていて、どれもずいぶん遠い昔のことのようなのに、お母さんとの思い出だけは「7年前」で止まっている。お別れも、ついこの間のことのように思います。


今年の命日は実家へは帰れなかったので、数日前にお花を買って、同じ福岡市内の実家へ少しだけ帰りました。(いまは、おばあちゃんだけが住むお家です。)

その数日に前に観ていたYouTubeで、とあるYouTuberさんが、お誕生日に母親から手紙をもらって読むシーンがありました。視聴者としてその様子に感動しつつも、ふと、”これからの人生、私はこうやって母親に手紙をもらうことは二度とないんだ”という当たり前の事実にはじめて気づき、今更ながら心細くなり。そして、純粋にうらやましく思いました。

そのあとに、頭に浮かんだのは生前にお母さんからもらった手紙のこと。いまの一人暮らしの家にはないけれど、捨てるはずは絶対にない。私は、次に実家に帰った機会には必ず探し出すことを決めての先日の弾丸帰省でした。学生時代の机、大捜索です。

中高生のころの、友だちとの日常的な手紙の交換はもちろん、すでにメールやSNSはあったのに、切手を貼り、ポストを介す文通が好きだった私。この大捜索にもちゃんと当てがあったのです。

たくさんの友人たちと交わした手紙を収めた箱は、いまも変わらず、机の足元の棚に置いてありました。そして、その中にお母さんから贈られた手紙も数通。私は恐る恐る、20歳のお誕生日にもらったであろう手紙を開きました。すっかり内容の覚えはありません。

4枚にも渡る手紙には、相変わらず美しく懐かしいお母さんの字が並び、7年をかけてどうしても薄まっていたお母さんからの愛が、そこには詰まっていました。成人という、十数年前の節目にもらった言葉のはずなのに、いまの私にもただ真っ直ぐに届く”母親”の想い。涙を堪えることは難しく、一人で声を出して泣いてしまいました。


少しだけお見せしますね。

4枚のうちのほんの一部

母親との関係性は人それぞれだと思いますが、私たちのお母さんは、兄弟それぞれを尊重してくれるひとでした。

みんなが同じ家に住んでいた学生時代、兄と弟の間に挟まれて生まれた私には、唯一の女の子だったため特に厳しく、制限もそれなりにありましたが、私の選択をいつも応援して、一緒に楽しもうとしてくれていました。どんなに空想的な夢を描こうとも、馬鹿にされたことは一度たりともなかったです。

いま思い返すと、決して金銭的に裕福とは言えない環境の中、それでも、私たち3人がやりたいことを出来るだけやれるように、いつも最大限のサポートを試みてくれていました。あの頃は、子供ながらに、日常的で、当たり前に思っていたことも、どれほどお金がかかっていたことか。社会人となり、一人暮らしを経験したいまならそれがよく分かります。

それから、振り返る母は偉大な記憶ですが、いま覚えばポンコツな部分もそれなりに(いや、結構?)ありました。これについての詳細は伏せます。だって、良くも悪くも、私も似ている部分があることに気づいちゃっているのだから・・・


最期まで、私はお母さんと一緒に暮らしていましたが、晩年は、LINEでメッセージをもらうことも多く、それも大切に保存しています。

ただ、どんなに絵文字やスタンプを駆使しようとも、手書きの言葉から滲み出る想いや愛情に勝ることはない。これから人生の中で、私がお母さんから新しい手紙を受け取ることは二度とないけれど、

”この手紙は私が私らしく生きるための
人生のお守りにしよう"

そう心に決めて、大切に持ち帰りました。

心許ないことが多かった、いまこのタイミングで再び読めて、ほんとうによかった。
メキメキとパワーがみなぎる、そんな3月9日でした。


追記

ちょうどここ最近、兄とも弟とも、それぞれと連絡をとるタイミングがあったのだけど、笑っちゃうくらいそれぞれが自由に生きています。

兄弟の関係性もさらにそれぞれだと思います。

うちの場合、兄とは年に1、2回ほど、特に弟とは数年間会えていないけど、例えば、彼がいまどんな選択をしていても、私と考え方が全く違っていたとしても、彼がハッピーならOK!だと思っています。これに関しては兄も同じ認識でした。

正直、幼いころから溺愛していた私からすると結構寂しくもあるけれけど、それも彼の人生だから、母が私たちにそうしてくれたように、私も彼の選択を尊重したいと心から思っています。

みんながそれぞれの人生を生きて楽しんでいることが、親孝行だと、勝手に思っています。

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