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【My Story#16】下宿屋のおかみさん

夫と共同購入した家は、築45年のこじんまりした中古住宅でした。広い裏庭には、ピザ窯の小屋がありました。この家を1960年代に建てたのは、ポルトガルからの移民家族で、毎週日曜日になると、奥さんが薪でパンを焼き、いい匂いが通りにあふれていたそうです。

夫は、大工仕事が大好きで、セミプロ級の腕をもっていました。古い家を、自分で少しずつ改築し、とても素敵な3LDKに生まれ変わらせました。ハウジング専門雑誌に、写真入りで紹介されたくらいです。

いつまでたっても、仕事を始めない私に業を煮やし、夫は使っていない2部屋を人に貸すことで収入にしようと言い出しました。欧米ではよくあるシェアハウスです。これが会社をやめて以来、初めての私の仕事になりました。

SNSのない時代です。パースの中心部にある、日本人向けの掲示板に「シェアメイト募集」の張り紙をしました。見知らぬ人が自宅をせわしなく出入りするのは嫌だったので、2ヶ月以上滞在できる人に限定し、家族的なつきあいができるよう、夕食つきにしました。要するに、まかないつきの下宿のおかみさんになったというわけです。グローバル企業の燃え尽きバリキャリからの、華麗なる転身です。(笑) 

ハウスルールを決め、下見に来る人を案内し、時には値段交渉にも応じました。学生時代のバイトを除いて、人から直接お金をもらう、人生初の体験でした。

変な人がきたらどうしよう、家に他人がいたらくつろげないんじゃないか と思いながら、おそるおそる始めたのですが、自分でも意外なことに、この仕事がとても楽しかったのです。

2年半で10人ほどの日本人女性との共同生活をしました。彼女たちはみな、20代後半で、社会人として数年働いたものの、仕事に違和感や生きずらさを感じて、人生を変えたくてワーホリに来た人ばかりでした。

彼女たちより10歳以上年上だった私は、英語の勉強、オーストラリアでの仕事探し、彼氏との恋愛、親との関係、日本に戻ってからのキャリアなどについて、いろいろな相談にのりました。

彼女たちの共通の悩みは、やりたいことがよくわからない、憧れていることはあるけど、もう若くない、お金がない、勇気がない ということでした。

実は私自身も、やりたいことがよくわからないという状況は同じだったのですが、経済的な理由から、半ば強制的に下宿屋のおかみさんをやってみました。そして、この経験を通じて、誰かの人生相談に乗るという、自分の新たな特技を発見しました。

乗り気じゃなくて始めたことでも、やっているプロセスの中にダイヤモンドの原石がみつかることがあります。この経験以来、自分が意図していないのに、目の前にやってきたものには、何か意味があるのかもしれないと思うようになりました。

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