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女の子が風の声を聞く話

賢くて繊細でものがわかりすぎる女の子は風が囁くのに耳を傾けます。

『森の入り口へ行って。森の入り口へ!』

女の子の脳裏に南の森の入り口の風景が浮かびます。あそこの近くにはベリーの群生があって、今時分はちょうど実りのときです。
女の子のお腹が鳴りました。

「わかった。ベリーをたくさん摘んでジャムを作りたいと思っていた」

女の子は籠にキノコとナッツのサンドイッチと水をつめます。風がもう一度囁きました。

『水をもっと沢山、そして紐と大きな布を持っていきなさい』

「わかった」

風が風変わりなことを言うのには慣れています。晴天なのに雨具を持っていきなさいと言われたときは帰り道に豪雨に見舞われました。湧き水を汲みにいくだけなのにナイフを持っていきなさいと言われた時は倒木に挟まれた仔鹿を見つけました。風の囁きには素直に従うのが1番良いのです。


動きやすいズボンと靴を履いた女の子は足取り軽く森の入り口へ向かいます。

森の小屋へはここ何ヶ月も行っていません。風や星や大地に尋ねても『行く必要はない』の一点張りです。女の子は子どものように毎日自然と共に遊んでいました。自分の興味を追っていました。

子どもの頃の女の子は周りと馴染めず、発言ひとつとっても変な目で見られたので自分を守るため大人にならざるを得ませんでした。森で暮らすようになって生き延びるために必死で星や大地や水から知恵を学びました。森の賢い人と呼ばれるようになって人々から頼りにされるようになりました。
要するに女の子は今まで無邪気な子どものように生きたことがなかったのです。はじめて女の子は子どものように自然と戯れ、好奇心のままに過ごす日々を送っていました。

最近、夢の中で誰かと一緒に高い塔を巡ったり、誰かと広い講堂でステンドグラスを眺めたり、誰かと抱擁して「人の温もりはいいなあ」としみじみしながら目を覚ますのです。誰かの顔は全く覚えていませんが、懐かしい感覚だけが起きた後も残っていました。

「変なこともあるものね。顔を覚えていないのに『誰か』さんの夢は子どものことから見ているのは分かる」

女の子は呟きました。


ベリーが生える森の入り口に大きな茶色い袋が転がっています。「ずいぶん大きな袋。持って帰って枯葉を詰めようか、冬用のベッドの下に敷くマットでも作ろうか」

大きな茶色の袋が唸りながらうごめきました。袋ではなく生き物です。女の子は「傷ついた生き物!」と叫ぶと大慌てで駆け出しました。


大きな茶色い袋、そう、勇気ある男の子はようやく東の果ての森に辿り着いたのです。


賢くて繊細でものがわかりすぎる女の子は茶色い袋に見える生き物に近づきます。唸りながらうごめく茶色い袋の正体は勇気があって純粋な男の子でした。男の子は喉もカラカラで声も出せません。女の子は男の子に水を渡したあと体に大きな布を巻きつけました。

「こんなに体が冷えて! いつからここに転がっていたの?」

男の子は首を傾げます。気がついたら地面に転がっていたのです。両足で先ほどまで立っていた気もするし、何日も地面に転がっていたような気もします。

「水も防寒具も何も持たないで森に入るなんて不用心ね。自然を舐めてる」

女の子は今度は男の子の口に薬草を煎じた甘い液を突っ込みました。

「飲んで。体が早く回復する」

甘くて苦いその薬を飲み干した男の子はようやく声が出るようになりました。

「あなたは東の果ての森に住む賢い人ですか?」

女の子は男の子の腕が変な風に曲がってるのを見つけ顔をしかめました。そして木の棒を探して大樹の周りをうろうろします。

「あなたの住んでたところからすると東なのかしら? ここが東の果ての森なんて呼ばれてるかどうかは知らない。そして賢さの定義なんて人によって違う。パンの作り方ならパン職人の方が私より賢い」

男の子は女の子が東の果ての森に住む賢い人なんだとわかりました。

女の子が男の子の腕を正しい方向に戻します。「いててて」と男の子がわめいても女の子は手を止めず素早く木の棒と紐で男の子の腕を固定しました。

「これでいい。この水と薬草と布はあげるから、さっさと森から出ていきなさい」

女の子は薬草の瓶とオヤツと水筒を布に包んで男の子の肩にかけました。

片腕を吊った男の子は女の子の足下に膝まづきました。

「東の果ての森に住む賢い人よ、僕の対になる女の子がどこにいるのか教えてください」

女の子は膝まづいた男の子の後頭部を見下ろしました。つむじが二つあって寝癖がヒョコンと立っています。

「知らない」

女の子はそれだけ言うとスタスタと森の奥へと帰っていきました。

続く。

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