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地を這う虫になった女の子の話

賢くて繊細でものをわかりすぎる女の子はいつのまにか街外れまで歩いてきていました。黄金の穂が揺れる畑が広がっています。街の喧噪がかすかに聞こえてきます。騒音に聞こえていたこれらの音も先ほどの女の人のように心の重荷を抱えながら生きている人たちが生み出す音なのです。女の子は足下をじっと見つめます。

足下をうねりながらミミズが横切ろうとしていました。

「虫たちから見たら人間の営みはどんな風に見えるのかしら?」


そう考えたとたん、女の子は地を這う虫になっていました。

体を波のようにうならせながら地面を進みます。体中に躍動感がみなぎっています。土の香りが変わりました。虫になった女の子は土を掘り返しながら地中に潜ります。おいしい匂いがどんどん近づいてきます。ふかふかに腐った葉っぱです。口いっぱいにおいしい味をほおばります。おなかいっぱいになるまで食べると眠気がおそってきました。地中で丸くなり虫になった女の子は眠ります。

体が乱暴に揺らされました。虫になった女の子は土ごと持ち上げられていました。空中に放り出されながら、虫になった女の子は何が起こったのか確認しようともがきます。鍬を持った男が畑を耕しています。

「土を柔らかくしてくれるありがたいミミズさまだ」

雷のような声が響きます。男は地面に落ちた虫になった女の子を避け、地響きをたてながら去っていきました。

虫になった女の子は慌てて地中に潜ります。地面を掘り起こす人間に再び見つかりたくありません。自分の穏やかに安らげる土に還りたくてたまりません。体全体がひんやりとした土にすっぽりと包まれると安心感がわき上がります。

「ああ、私は私のいるべき場所が大好きだ」

すると大地が答えました。

「そうだね。君は自分のいるべき場所に帰りなさい」

虫であった女の子は安心な土からはじき出されるのを感じました。

人間の体に戻った女の子は黄金の穂が揺れるの畑の前で立ち尽くしていました。

「そうか、虫には人間たちの営みは関係ない。興味がもてない。違う次元にあるものは上の次元に興味を持つこと自体できないんだ」

女の子は街を振り返ります。

「街へ行こう。私と街の人たちは違う次元を生きているのかも。それを確かめないと」


街に戻った女の子は宿を探します。街外れの森の中ならば野宿ができましたが街ではそうはいきません。

感じの良さそうな宿を探して女の子は大通りを抜け広場まで来てしまいました。広場の奥の寺院では恵まれない人たちへスープを配っています。女の子はスープが欲しいわけでもありませんでしたが寺院に向かって歩いていきます。

施しのスープを受け取る人は様々でした。うす汚れた布を巻いた母子、気丈な顔をした幼い姉妹、うつろな目をした老人、白い札を握りしめた腫れ物だらけの病人、肉体労働のあとらしき男。そんな人たちにスープを配っていた髪を一つにくくったおじさんが女の子に声をかけました。

「君もスープが欲しいのかい?」

女の子は首を横に振りました。

「いいえ。私はここを手伝いにきました」

女の子の口からそんな言葉が飛び出しました。女の子は驚きましたが、髪を一つにくくったおじさんも驚いたように目を見開いた後、寺院の奥を指さしました。

「じゃあ、厨房で指示を仰いでくれ。明日の分の仕込みをしているから」

女の子はうなずくと寺院の奥の厨房へ向かって歩き出しました。


女の子は寺院の厨房で働き始めました。夜、寝る場所を貸して欲しいといったらば、寺院の中ならどこでも寝ていいと言われました。

「夜は門に鍵をかけるからね。祭壇以外ならどこで寝てもかまわんよ」

「祈りの部屋や瞑想室で寝てもいいの?」

「うちの院長は変わり者なのさ。与えよ、さらば与えられん、ってね」

髪を一つにくくったおじさんは苦笑しました。

「国が乱れてから、魂のための修行者も減った。祈願のためにやってくる者もほとんどいない。祭祀は最低限しかできない。今やここは施しのための場だ」

女の子はまばたきもせずに髪を一つにくくったおじさんを見つめます。魂の目でみればこのおじさんは院長です。どうして自分が院長であることを隠すのかわかりませんが、そういうこともあるのが今の世の中なのでしょう。

「ありがとうございます。じゃあ祈りの部屋で眠るわ。あそこが一番気持ちいいもの」

「どうぞどうぞ。明日も朝早いけれどよろしくな」

髪を一つにくくったおじさんは鍵の束をぶらぶらさせながら部屋を出ていきました。

「施しこそ魂の修行になるって言うわけね」

女の子は呟くと青菜のアクで真っ黒になった指で毛布を抱え直しました。

続く。

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