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別れを知る時

私は小さい時から母に、あんたは冷たい、情がない、お兄ちゃんはあんなにやさしいのに、といつも言われていた。
小学生低学年くらいのときだったか。
悔しいだとか負けたくないとかいう感情も備わっていなかったので(今でもないけど)そうなのかー・・と思い、そんなもんなんだろうな、と別に深くも考えなかったけど、兄と比べて母が私に対して怒りを向けているのは
腑に落ちなかったなぁ。
母曰く、兄は人に対しても物に対しても愛情や惜別の意を示して
泣いたりする、ということだった。
私が、怒られている兄を見て、かわいそうだと泣くことに関しては
「何泣いてんの」と冷たく言い放つだけだったけど。
母の『あんたは冷たい』『あんたはとんでもなくぶさいく』という呪いをかけられて大きくなった私は、自分は非情で冷酷で残酷で醜いモンスターだと思い込んでいた。


思春期になっても、オシャレには見向きもしなかった。
男の子のような恰好ばかりしていて、母が服をあてがおうと必死になっていたけれど、私は興味を示さなかった。
私はぶさいくなのだから、きれいなものや可愛いものを身に着ける意味がないとハナから女子を放棄してしまっていた。
親がかける呪いというのは恐ろしい。
私はオシャレをするという、女の子が一番楽しいトレンドを思春期にはもう手放していた。

大人になってからその頃の写真を見て、衝撃を受けたことがある。
私自身の「目」だ。
目が、モノを見る人の目ではなかった。
まるでモグラのように、小さく潰れているかのようだった。

そんな私を見て、また母がまわりと比べて容姿をあれこれけなしたのは言うまでもない。生きていく価値などないと思い込ませるには十分なほどの呪いを受けて育った。

中学2年になって、地元のおじいちゃんが経営している塾に通うようになった。とてもアットホームな塾で、お菓子を持ち込んでもいいという面白い塾だった。仲間ができ、そこは家庭や学校からひとつ離れた浮島のように、私の居場所となった。
塾の先生も個性派揃いで本当に変わった人ばかりで面白かった。
世の中にはこんな大人がいるんだ、と世界が少し広がったりもした。
海外への興味もこの塾のおかげで湧いてきたように思う。

この塾のおかげで、少しずつ私も服に気を遣うようになり、女の子らしさも芽生えてきたころ。
お気に入りの青いシャツを着て、塾に行った。
着くなり、「ハイ!」とプリントを渡された。
さっと目を通すと、塾長夫妻がアメリカの大学に留学するため、塾を閉めるという内容が書かれてあった。
目の前が真っ暗になった。
そして爆発的に涙が溢れた。どばーーーと、ものすごい量が。滝のように。
周りの仲間たちはちんぷんかんで先生たちにいろいろ質問していたが
私の様子を見て焦っていた。え?え?とみんながおろおろした。
私もどうして急に涙が出たのか分からなくてパニックになった。
塾講師の一人の先生が、熊みたいな人だったんだけど、のそっと立ち上がって、私の背後に立って、優しく肩をもんだ。
私は嗚咽して泣いた。
「これからもこの塾に来たい」
その願いはかなわなかった。

でもこの時、私は初めて『別れ』というものを知った気がする。
自分が大切にしていたものが無くなってしまうということをリアルに身に迫って実感したのだと思う。
そしてその時、私は自分自身を『決して優しくないわけじゃない』と評価した。

なにかとそうなんだけど、私は呪いを受けて育ったせいか、成長がとても遅かったように思う。オシャレに火花がついたのも大学に入ってからだったし
彼氏ができたのも19とわりとおそめ。
女の子の時に、ピンクのものや、かわいいヘアゴムや、キティちゃんなんかに目を向けれなかったことはとても悲しいことだと、大人になって思う。
あれは女の子にとって必要な通過儀礼だ。

自分にかかった呪いを苦労して手に入れた魔法でほどけさせるには、とても時間がかかったけれど、今では『けっして醜いわけではない』という自分の評価も得た。

自分の子供には、いかなる呪いをもかけないように、細心の注意を払って子育てに向き合っている。

photo by 薄氷


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