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Most of the works have no title,Untitled.

あまりに永いこと更新していないので友人に突っ込まれた。
仕方ないので、徒然なく綴っていたメモをここに散文的に書き込んでみようとは思うのだけど、いつもタイトル入力の時点で脱落。
多くはあまりの暑さに断念してしまう。

緊急事態宣言を伴い、家庭保育が2か月を越えた。
幸い、開店休業状態の私の職業は、家庭保育には向いてなくもない職業なので、かれこれずーっと引きこもっている。
すっかり私の夜行性スタイルが定着してしまった子供たちは、夜中まで目が冴えており、仕方なく夜中にそーっと寝室を抜け出し、エアコンの無い部屋でパソコンに向かうのだけど、暑すぎて汗がタラタラと鎖骨の下を流れるので、タイトルもままならず、再び寝室に戻る日々。

長々と言い訳をしたけれど、そもそもタイトルから考えるから進まないのでは!と気づいた。
産まれた赤ちゃんの顔を見てから名づけるスタイルでいいじゃないか。

というわけで、思いついた時に秒で書き込んでまた子供の相手に戻り、放置したメモたちをここに書きつけてみる。
とりあえず産んでから考えるスタイル。


夢の中でよく歌っている
目が覚めたら思い出せない
忘れないように幾度も幾度も夢の中で歌い心に刻んだのに思い出せない

かと思えば
いつまでも覚えているメロディで、口ずさむのに、なんの歌か思い出せない


その人の匂い、香り、そして歌
どんな高度な文明を持ってしても
失われた香りや匂い、そして歌の美しさは文章で
伝えきれることはないのだろうと思う

その人の仕草に目を奪われることもよくある
たわいもない、食器を洗い、お箸を食洗機にシャラリと入れる指の長さにすら目を奪われることがある
その人の魅力はそういうところにあってやはり言葉で伝えることはできない
女性であっても男性であっても
その人の特有のしぐさというものはとても魅力的で
生きるということは、そういうことを共有できること、その美しさを心に刻むこと、死んでしまってはみることができない

死ぬということはどういうことなのか
いのちと言われるものだけがカラダから消えてしまうのか
すべて臓器もなにもかもそのままそっくり残っているし、生きている条件はすべて揃っているのに、なぜ動かなくなってしまうのか
どこかスイッチみたいなものがあって、魂が抜けてしまったら動かなくなってしまうのか
カラダノオワリということなのか

死ぬと、どうして会えなくなってしまうのか
体がなくなってしまうだけなのに
もう記憶の中だけでしか会えない
分かっていたのにどうしてもっと話をしなかったのか

そして生きるということに目を向けることはあっても
産むということについて深く考えたことがなかった

産んでしまったこどもたち
私の会いたいというエゴで産んでしまった二人のこどもたち
会いたくて会いたくて再婚してまで産んだ私の愛しいこどもたち
のぞんでうまれたわけじゃないと
いつか言われてしまった時に、私は何を言ってやれるのか
産んでしまった罪を、どう償ったらいいのか
考えて生きていこう
考えなしに産んでしまった私
これからしっかり考えねば


川上未映子さんの『夏物語』という本を読んで
最後のメモは産むということについて書いているのだけど
結局タイトルですら産んでから考えようと言っているあたり
何も成長していない
人間は過ちを繰り替えす愚かな生き物なんだなぁ←

ここまで書いて
息子に「ごはん待ってるんですけどお。なにしてんの?」と言われたので
「すいませんすいません文章書いてました」と、またおさんどんに戻ります。
皆さまごきげんよう。








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